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あらたまの年も越えぬる松山の
波の心はいかがなるらむ

歌の意味
年も越えてしまった。末の松山を越えるという波のような、あなたの移ろう心は、いったいどうなっているのだろう。
鑑賞
巻第十一 恋歌三 783

詞書「兼通朝臣離れ方になりて、年越えて訪らひて侍りければ」
 年も越えてしまったが、末の松山を越える波のようなあなたの心はどうなっているのか、と詠んだ歌である。足の遠のいた男が年を越してから訪れたのに対し、その心変わりをとがめている。
 詞書によれば、藤原兼通が通いを途絶えがちにして、年が明けてから訪ねてきたので詠んだ歌である。本巻の第七百五十五首、第七百五十九首、第七百六十首に続き、末の松山を越える波を心変わりのたとえとしている。
 作者の「元平のみこのむすめ」は、元平親王の娘である。父の元平親王は陽成天皇の皇子である。

 初句「あらたまの」は、「年」を導く枕詞である。
 二句「年も越えぬる」は、年も越えてしまった、の意で、「越え」は年を越す意と、波が松山を越す意を重ねている。
 三句「松山の」は、陸奥の国の歌枕である末の松山の、の意で、本巻の第七百五十五首、第七百五十九首、第七百六十首と同じく心変わりの象徴として用いられている。
 四句「波の心は」は、松山を越える波のような心は、の意で、相手の移ろう心をたとえている。
 結句「いかがなるらむ」は、どうなっているのだろう、の意で、「らむ」は現在の推量を表す。

あらたまの:「年」を導く枕詞
とぶらふ:訪ねる、見舞う
作者
元平親王の娘
出典
後撰和歌集
前の歌
おもひには我こそ入りてまどはるれ あやなく君や涼しかるべき
次の歌
我がためはいとど浅くやなりぬらん 野中の清水深さまされば