逢坂の関と守らるる我なれば
あふみてふらん方も知られず
- 歌の意味
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逢坂の関のように、親に見張られている私なので、近江、逢う身という方角が、どちらなのかもわからない。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌四 859
詞書「返し」
逢坂の関のように見張られている私なので、近江という方角もわからない、と詠んだ歌である。道しるべがほしいと言う男に対し、自分こそ親に守られて身動きがとれず、逢う方法もわからないと応じている。
前歌の第八百五十八首への返しである。前歌の「あふみてふ方」を受けて、「逢坂の関」で応じている。
作者の「春澄善縄朝臣女」は、参議春澄善縄の娘である。父の善縄は文章博士などを経て参議に至った学者である。
初句「逢坂の」は、山城と近江の境にある逢坂の関の、の意で、「逢ふ」の意を響かせている。本巻の第八百二首も「逢坂の関」を詠んでいる。
二句「関と守らるる」は、関のように見張られる、の意で、関守が関を守るように、親に見張られていることをたとえている。
三句「我なれば」は、私であるので、の意で、「ば」は確定の条件を表す。
四句「あふみてふらん」は、近江というらしい、の意で、「あふみ」に地名の「近江」と「逢ふ身」を掛け、前歌の初句「あふみてふ」を受けている。
結句「方も知られず」は、方角もわからない、の意で、前歌の「方のしるべ」を受けている。
あふみ:地名の「近江」と、「逢ふ身」を掛ける
もる:見張る、番をする
- 作者
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春澄善縄女
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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あふみてふ方のしるべも得てしかな みるめなきことゆきてうらみん
- 次の歌
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あしひきの山下水の木隠れて たぎつ心をせきぞかねつる