あらたまの年は今日明日越えぬべし
相坂山を我や遅れん
- 歌の意味
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年は今日か明日のうちに越えてしまうだろう。それなのに逢坂山を、私は越えられずに遅れてしまうのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌六 1074
詞書「物言ひ侍りける女に、年の果てのころほひつかはしける」
年は今日明日のうちに越えてしまうだろうが、逢坂山を私は越えそびれるのだろうか、と詠んだ歌である。年が越えていくのに、自分は相手に逢う「逢坂」を越えられないまま取り残されるのかと、年の暮れに逢瀬のかなわない焦りを詠んでいる。
詞書によれば、言い交わしていた女に、年の暮れのころ送った歌である。恋歌六の巻末歌で、巻頭の第九百九十四首が「逢ふ事を」と詠み起こしたのに対し、本歌は「相坂山」で逢うことへの思いを結び、巻の初めと終わりが「逢ふ」の語で呼応している。また、第千六十八首から続く雪と冬の歌を受け、年の暮れで巻を閉じている。
作者の藤原ときふるは、後撰集の時代の歌人で、詳しい伝は未詳である。
初句「あらたまの」は、「年」にかかる枕詞である。
二句「年は今日明日」は、年は今日か明日のうちに、の意で、年の暮れであることを示している。
三句「越えぬべし」は、きっと越えてしまうだろう、の意で、「ぬべし」は強い推量を表す。年が改まることを、山を越えることに重ねている。ここで句切れとなる。
四句「相坂山を」は、逢坂山を、の意で、「相坂」に男女が「逢ふ」意を重ねている。本巻の第千三十八首の三句にも「相坂」が詠まれ、巻頭の第九百九十四首の初句「逢ふ事を」とも呼応している。
結句「我や遅れん」は、私は遅れてしまうのだろうか、の意で、「や」は疑問の係助詞で、連体形「ん」で結ぶ係り結びとなっている。年は越えていくのに自分だけが取り残される嘆きで巻を閉じている。
あふさかやま:近江国と山城国の境の逢坂山。「逢ふ」を響かせる
としのはて:年の暮れ
- 作者
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藤原ときふる
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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山隠れ消えせぬ雪のわびしきは 君まつの葉にかかりてぞふる
- 次の歌
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嵯峨の山行幸絶えにし芹川の 千代の古道跡はありけり