嵯峨の山行幸絶えにし芹川の
千代の古道跡はありけり
- 歌の意味
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嵯峨の帝の行幸以来絶えてしまっていた芹川の、千年を経た古い道にも、昔の跡は確かに残っていたことだ。
- 鑑賞
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巻第十五 雑歌一 1075
詞書「仁和の帝、嵯峨の御時の例にて、芹川に行幸したまひける日」
嵯峨天皇の行幸以来絶えていた芹川への古い道に、昔の跡は確かに残っていた、と詠んだ歌である。「跡」に道の跡と先例の意を重ね、光孝天皇が嵯峨天皇の例にならって行幸したことを、古い道がよみがえったと祝っている。
詞書によれば、仁和の帝である光孝天皇が、嵯峨天皇の時代の例にならって芹川に行幸した日の歌である。この行幸は鷹狩を伴うもので、次歌も同じ日の行平の歌であり、二首が続けて置かれている。
雑歌一の巻頭歌で、行幸という晴れの場の歌で巻を詠み起こしている。巻末の第千百二十四首が、位の進まない身を嘆く述懐で巻を閉じるのと対照をなし、官に仕える者の喜びと嘆きが巻の初めと終わりに置かれている。
作者の在原行平は、平城天皇の皇子阿保親王の子で、在原業平の異母兄にあたる。中納言に至り、一族の子弟のために奨学院を設けた。小倉百人一首には「立ち別れいなばの山の峰に生ふる」の歌が採られている。
初句「嵯峨の山」は、嵯峨天皇を指して言い起こしたもので、嵯峨天皇の時代の行幸を思い起こさせている。
二句「行幸絶えにし」は、行幸が絶えてしまった、の意で、「にし」は完了の助動詞「ぬ」と過去の助動詞「き」の連体形である。嵯峨天皇ののち久しく行幸がなかったことをいう。
三句「芹川の」は、山城国を流れた芹川の、の意で、鷹狩の地として知られた所である。
四句「千代の古道」は、千年を経た古い道、の意で、長い年月を経た行幸の道と、昔からの先例の意を重ねている。
結句「跡はありけり」は、跡は残っていたのだなあ、の意で、「けり」は気づきの詠嘆を表す。「跡」に道の跡と、嵯峨天皇の先例の意を重ね、行幸の再興を祝っている。
せりかは:山城国の川の名。鷹狩の地として知られた
みゆき:天皇のお出まし。行幸
ふるみち:古くからある道
- 作者
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在原行平
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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あらたまの年は今日明日越えぬべし 相坂山を我や遅れん
- 次の歌
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翁さび人なとがめそ狩衣 今日ばかりとぞたづも鳴くなる