難波潟何にもあらずみをつくし
深き心のしるしばかりぞ
- 歌の意味
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難波潟の澪標のように、この贈り物は何ほどのものでもない。身を尽くすほどの深い心のしるしだけなのだ。
- 鑑賞
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巻第十五 雑歌一 1103
詞書「女友達のもとに、筑紫より挿し櫛を心ざすとて」
難波潟の澪標のように、贈り物は何ほどのものでもないが、身を尽くす深い心のしるしばかりだ、と詠んだ歌である。「みをつくし」に澪標と身を尽くしを掛け、遠い筑紫から挿し櫛を贈る心を、深い水路を示す澪標になぞらえて伝えている。
詞書によれば、筑紫から女友達のもとへ、挿し櫛を贈るときに添えた歌である。
作者は大江玉淵の娘で、詳しい伝は未詳である。父の玉淵は大江音人の子で、地方官を務めた。
初句「難波潟」は、摂津国の難波の干潟で、澪標の名所である。同じ音の「何」を二句に響かせている。
二句「何にもあらず」は、何ほどのものでもない、の意で、贈り物をへりくだって言っている。ここで句切れとなる。
三句「みをつくし」は、船の通る水路を示す杭である澪標の意で、「身を尽くし」を掛けている。
四句「深き心の」は、深い心の、の意で、澪標が示す水の深さに心の深さを重ねている。
結句「しるしばかりぞ」は、しるしだけなのだ、の意で、「しるし」に澪標の目印と、心ざしのしるしを重ねている。
みをつくし:船の水路を示す杭の澪標と、「身を尽くし」を掛ける
さしぐし:髪に挿す飾りの櫛
なにはがた:摂津国の難波の干潟
- 作者
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大江玉淵女
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな
- 次の歌
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開けてだに何にかは見む水の江の 浦島の子を思ひやりつつ