人の親の心は闇にあらねども
子を思ふ道にまどひぬるかな
- 歌の意味
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親の心は闇というわけではないけれども、子を思う道には迷ってしまうものだなあ。
- 鑑賞
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巻第十五 雑歌一 1102
詞書「太政大臣の、左大将にて相撲の還饗し侍りける日、中将にてまかりて、事終はりてこれかれまかりあかれけるに、やむごとなき人二人ばかりとどめて、まらうど主人、酒あまたたびののち、酔ひにのりて子どもの上など申しけるついでに」
親の心は闇ではないけれども、子を思う道には迷ってしまうものだ、と詠んだ歌である。子を思うあまり分別を失う親心を、闇の中で道に迷うことにたとえ、後世まで親心を表す言葉として広く引かれた。源氏物語にもたびたび引用されている。
詞書によれば、太政大臣藤原忠平が左大将として相撲の還饗を催した日、兼輔は中将として参り、宴が終わって人々が退出した後、身分の高い人を二人ほど引き留めて、客と主人とで酒を何度も酌み交わし、酔いにまかせて子どもの身の上などを語り合ったついでに詠んだ歌である。大和物語にも、兼輔の親心を伝える話とともに見える。
作者の藤原兼輔は、中納言に至り、賀茂川の堤に邸があったことから堤中納言と呼ばれた。紫式部の曾祖父にあたり、小倉百人一首には「みかの原わきて流るるいづみ川」の歌が採られている。
初句「人の親の」は、人の親の、の意で、字余りとなっている。親一般のこととして言い起こしている。
二句「心は闇に」は、心は闇に、の意である。
三句「あらねども」は、あるわけではないけれども、の意で、「ども」は逆接を表す。
四句「子を思ふ道に」は、子を思う道に、の意で、「道」は闇の縁語となっている。
結句「まどひぬるかな」は、迷ってしまうことだ、の意で、「ぬる」は完了、「かな」は詠嘆を表す。闇と道の縁で「まどふ」と結び、子を思って分別を失う親心を述べている。
かへりあるじ:相撲の節会などののち、近衛大将が自邸で部下をもてなす宴。還饗
まらうど:客
まどふ:道に迷う。思い乱れる
- 作者
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藤原兼輔
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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くやしくぞ天つ乙女となりにける 雲路尋ぬる人もなき世に
- 次の歌
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難波潟何にもあらずみをつくし 深き心のしるしばかりぞ