逢ふ事の年ぎりしぬるなげきには
身の数ならぬものにぞありける
- 歌の意味
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お逢いすることが、実のならない年のように途絶えてしまう嘆きによって、我が身は物の数にも入らないものであったと思い知ったことだ。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌三 1197
詞書「法皇かへり見たまひけるを、のちのちは時衰へて有りしやうにもあらずなりにければ、里にのみ侍りて奉らせける」
お逢いすることが年ぎりのように途絶える嘆きによって、我が身は数にも入らないものだと知った、と詠んだ歌である。木の実が年によって実らない「年ぎり」に、法皇の訪れが途絶えたことをたとえ、寵の衰えた身のはかなさを嘆いている。
詞書によれば、法皇(宇多法皇)が目をかけていたが、後にはその寵も衰えて以前のようではなくなったので、里にばかりいて、法皇に差し上げた歌である。
作者の「せかゐのきみ」は清和院君である。清和院に仕えた女房とみられ、宇多法皇の寵を受けたが、伝は詳らかでない。
初句「逢ふ事の」は、法皇にお逢いすることが、の意である。
二句「年ぎりしぬる」は、年によって途絶えてしまう、の意で、木の実が年によって実らない「年ぎり」に、法皇の訪れが絶えたことをたとえている。
三句「なげきには」の「なげき」は、「嘆き」に「投げ木」を掛けた掛詞で、二句の「年ぎり」の木と縁語をなしている。嘆きのために、の意である。
四句「身の数ならぬ」は、我が身が物の数にも入らない、の意で、取るに足りない身であることをいう。
結句「ものにぞありける」は、ものであったのだ、の意で、「ぞ」を受けて連体形「ける」で結ぶ係り結びとなっている。「けり」は今さらに気づいた思いを表す。本巻の第千二百一首も同じ結句「ものにぞありける」で結んでいる。
としぎり:果樹が年によって実をつけないこと、ここは訪れが途絶えることのたとえ
なげき:「嘆き」の意と、薪にする「投げ木」を掛ける
かへりみる:目をかけて気にかける
- 作者
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清和院君
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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世を背く苔の衣はただ一重 かさねば疎しいざ二人寝ん
- 次の歌
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あだ人もなきにはあらずありながら 我が身にはまだ聞きぞならはぬ