枝ながら見てを帰らん紅葉葉は
折らんほどにも散りもこそすれ
- 歌の意味
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枝についたままの姿を見て帰ろう。紅葉は、折ろうとするうちにも散ってしまうといけないから。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 201
詞書「天暦御時、殿上の男ども紅葉見に大井にまかりけるに」
紅葉は折ろうとする間にも散ってしまうおそれがあるので、枝についたままの姿を見て帰ろうと詠む歌である。前歌が手折って持ち帰ろうとしたのに対し、紅葉をそのままに惜しむ心を表している。詞書によれば、前歌と同じく天暦の御代に殿上人たちが大井川へ紅葉を見に出かけたときの歌である。
作者の「源兼光」は、天暦の頃の殿上人である。伝の詳細は明らかでない。
初句「枝ながら」は、枝についたままで、の意である。前歌の「手ごとに折りて」に対し、本歌は折らずに見ることを詠み、折る心と折らない心とで二首が対をなしている。
二句「見てを帰らん」は、見て帰ろう、の意で、「を」は強意の間投助詞、「ん」は意志の助動詞である。ここで句切れとなる。
三句「紅葉葉は」は、前歌の初句と同じ「紅葉葉」の語を受ける。
四句「折らんほどにも」は、折ろうとするうちにも、の意である。
結句「散りもこそすれ」は、散ってしまうといけない、の意で、「もこそ」は悪い事態を危ぶむ表現であり、已然形の「すれ」で結ぶ係り結びとなる。前歌が風に散らされることを恐れたのに対し、本歌は人が折ることで散ることを恐れている。
もみぢば:紅葉した葉。紅葉葉
- 作者
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源兼光
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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紅葉葉を手ごとに折りて帰りなん 風の心もうしろめたきに
- 次の歌
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川霧の麓をこめて立ちぬれば 空にぞ秋の山は見えける