川霧の麓をこめて立ちぬれば
空にぞ秋の山は見えける
- 歌の意味
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川霧が山の麓を包みこんで立ちこめたので、秋の山は空に浮かんでいるように見えたことだ。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 202
詞書「題しらず」
川霧が山の麓を包みこんで立ちこめたため、紅葉した秋の山が空に浮かんでいるように見えると詠む歌である。霧に隠された麓と、くっきりと見える山の上の紅葉との対比によって、幻想的な景を描き出している。
作者の「ふかやふ」は清原深養父である。平安時代前期から中期の歌人で、清原元輔の祖父、清少納言の曾祖父にあたる。琴の名手としても知られ、中古三十六歌仙に数えられる。
初句「川霧の」は、川に立つ霧をいう。本巻の第百八十六首、第百九十三首の「佐保の川霧」に続き、川霧が詠まれる。
二句「麓をこめて」は、山の麓を包みこんで、の意である。
三句「立ちぬれば」は、立ちこめたので、の意で、「ば」は確定条件を表す。
四句「空にぞ秋の」は、空に秋の、の意で、「ぞ」は係助詞であり、結句の「ける」で結ぶ係り結びとなる。
結句「山は見えける」は、山は見えたことだ、の意である。第百九十三首では川霧が紅葉を隠すと恨まれたのに対し、本歌では麓を隠す霧によってかえって山の紅葉が空に浮かび上がり、霧の隠すものと見せるものとが反転している。霧の下の麓と空の山という上下の対比で一首を結んでいる。
こむ:中に包み入れる。込む
- 作者
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清原深養父
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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枝ながら見てを帰らん紅葉葉は 折らんほどにも散りもこそすれ
- 次の歌
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湖に秋の山辺を映しては はたばり広き錦とぞ見る