我ひとり越の山路に来しかども
雪ふりにける跡を見るかな
- 歌の意味
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自分ひとりで越の山道にやって来たと思ったけれども、雪が降って古びた、先に行った人の足跡を見ることだ。
- 鑑賞
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巻第四 冬歌 248
詞書「屏風の絵に、越の白山描きて侍りける所に」
ただひとり越の山道に来たと思ったのに、雪の上に先に行った人の古びた足跡を見つけたと詠む歌である。人里離れた雪の山道の孤独と、そこにも先人の跡があることへの感慨を表している。詞書によれば、屏風の絵に越の白山が描かれていたのに添えた歌である。
作者の「藤原佐忠朝臣」は、平安時代中期の官人である。伝の詳細は明らかでない。
初句「我ひとり」は、自分ひとりで、の意である。
二句「越の山路に」は、越の国の山道に、の意で、北陸の雪深い山路をいう。次歌の第二百四十九首も「越の白山」を詠み、屏風の題材を同じくする歌が並ぶ。
三句「来しかども」は、来たけれども、の意で、二句の「越」と同じ音を重ねている。
四句「雪ふりにける」は、雪が降る意と、古くなる意の「古る」とを掛け、雪が降って古びた、の意となる。
結句「跡を見るかな」は、足跡を見ることだ、の意で、「かな」は詠嘆である。
ふる:雪が降る意と、古くなる意とを掛ける
こし:北陸地方の古称。越の国
- 作者
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藤原佐忠
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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我が宿の雪につけてぞふるさとの 吉野の山は思ひやらるる
- 次の歌
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年経れば越の白山老いにけり 多くの冬の雪積もりつつ