年を経て立ち馴らしつる葦鶴の
いかなる方に跡とどむらん
- 歌の意味
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長い年月、私のもとで立ち慣らしてきた葦辺の鶴は、今はどのような方のもとに足跡をとどめるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第八 雑歌上 498
詞書「左大臣の、土御門の左大臣の婿になりて後、下沓の型を取りにおこせて侍りければ」
長年私のもとで立ち慣らしてきた葦辺の鶴は、今はどのような方のもとに足跡をとどめるのだろうかと詠む歌である。詞書から、左大臣が土御門の左大臣の婿となった後、下沓の型を取りに使いをよこしたので詠んだ歌とわかる。下沓の型と鶴の足跡とを結びつけ、長く世話をしてきた人が新たな縁を得て離れていく寂しさを、鶴の行方を案じる形で表している。前歌の第四百九十七首と三句「葦鶴の」を共有し、鶴を詠む二首が並べられている。
作者の「愛宮」は、右大臣藤原師輔の娘で、左大臣源高明の妻である。安和の変で夫が失脚した後、出家したと伝えられる。
初句「年を経て」は、長い年月を経て、の意である。
二句「立ち馴らしつる」は、立ち慣らしてきた、の意で、通い慣れた様子をいう。「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形である。
三句「葦鶴の」は、葦辺にいる鶴の、の意で、前歌の三句と同じ句である。相手を鶴にたとえている。
四句「いかなる方に」は、どのような方に、の意で、方角の意と、人の意とを重ねている。
結句「跡とどむらん」は、足跡をとどめるのだろうか、の意で、「らん」は現在推量の助動詞である。「跡」は詞書の下沓の型と結びついている。
したうづ:下沓。沓の下に履く足袋のような布製の履物
たちならす:何度も立って地面を平らにする。通い慣れる
あと:足跡
- 作者
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愛宮
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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遅れゐて鳴くなるよりは葦鶴の などか齢を譲らざりけん
- 次の歌
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行く末の忍草にもありやとて 露の形見も置かんとぞ思ふ