影絶えておぼつかなさのますかがみ
見ずはわが身の憂さも知られじ
- 歌の意味
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あなたの姿が絶えて、心もとなさがつのるばかりの真澄鏡。これを見なければ、我が身のつらさも思い知らされることはないだろう。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 915
詞書「くにもちが娘を、ともみつまかり去りて後、鏡を返し遣はすとて、書き付けて遣はしける」
あなたの姿が絶えて心もとなさがつのる真澄鏡を見なければ、我が身のつらさも思い知らされずにすむだろうと詠む歌である。かつては二人の姿を映したであろう鏡に、今は独りのわびしい姿だけが映ることのつらさを詠み、鏡を返すことで別れを受け入れる心を示している。
詞書によれば、ともみつという男が国用の娘のもとを去った後、鏡を返す際に書き付けて贈った歌である。鏡は男から贈られたものであったと考えられる。
作者の「くにもち」は藤原国用の娘である。原文の作者表記は父の国用の名であるが、詞書によれば、ともみつに去られた国用の娘が鏡を返す際に詠んだ歌で、ここでは娘の作とする。国用、娘ともに伝は詳らかでない。
初句「影絶えて」は、あなたの姿が絶えて、の意である。鏡にあなたの影が映らなくなったことと、訪れが絶えたこととを重ねている。
二句「おぼつかなさの」は、心もとなさが、の意である。
三句「ますかがみ」は、心もとなさが「増す」意と、よく澄んだ鏡の「真澄鏡」を掛けた掛詞である。本巻の第八百五十七首、次歌の第九百十六首と、「ますかがみ」を詠む歌が呼応している。
四句「見ずはわが身の」は、見なければ我が身の、の意で、「ずは」は打消の仮定を表す。
結句「憂さも知られじ」は、つらさも思い知らされることはないだろう、の意で、「れ」は自発の助動詞「る」の未然形、「じ」は打消の推量を表す。
ますかがみ:心もとなさが「増す」意と、よく澄んだ鏡の「真澄鏡」を掛ける
おぼつかなさ:不安。心もとないこと
- 作者
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藤原国用の娘
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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人にだに知らせで入りし奥山に 恋しさいかで尋ね来つらん
- 次の歌
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思ひます人しなければ真澄鏡 うつれる影とねをのみぞなく