古典和歌stream

泣く涙世はみな海となりななん
同じ渚に流れ寄るべく

歌の意味
泣いて流す涙で、この世はすべて海となってほしい。そうすれば、流された我が子と同じ渚に、私も流れ寄ることができるように。
鑑賞
巻第十五 恋歌五 925

詞書「善祐法師流され侍りける時、母の言ひ遣はしける」
 泣いて流す涙で世の中がすべて海となってほしい、そうすれば流された我が子と同じ渚に流れ寄ることができるから、と詠む歌である。遠く引き離された子のもとへ、たとえ涙の海を漂ってでもたどり着きたいという母の切ない願いが、大胆な誇張によって表されている。
 詞書によれば、善祐法師が流罪となった時に、母が言い送った歌である。善祐は東光寺の僧で、寛平八年、清和天皇の后であった藤原高子との密通の疑いにより、伊豆国へ流されたと伝えられる。恋の巻の巻頭に、子を思う母の歌が置かれている。
 作者の「善祐法師の母」は、東光寺の僧善祐の母で、名は伝わっていない。
 本巻の巻頭の歌である。巻末の第九百九十九首が「我が身ひとつに恋を積みつる」と、思いを我が身ひとつに積み重ねて結ぶのに対し、巻頭は涙で「世はみな海」となれと、世の中全体へ広げて歌い起こしている。同じ嘆きを、世と我が身という別の尺度で詠む二首が、巻の始めと終わりで呼応している。

 初句「泣く涙」は、泣いて流す涙で、の意である。巻頭から涙を詠み出し、本巻に続く涙の歌の始まりとなっている。
 二句「世はみな海と」は、この世がすべて海に、の意である。涙が世を満たして海となるという大胆な誇張である。
 三句「なりななん」は、なってしまってほしい、の意で、「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形、「なん」は他に対して望む意を表す終助詞である。ここで句切れとなる。
 四句「同じ渚に」は、流された子と同じ波打ち際に、の意で、「海」の縁語である。
 結句「流れ寄るべく」は、流れ寄ることができるように、の意で、「べく」は可能を表す助動詞「べし」の連用形である。三句の願いの目的を下の句で添えている。「流れ」は、子が流罪となったことも響かせている。

なぎさ:渚。波打ち際
ながす:流す。ここでは罪人を遠国へ追放する意
作者
善祐法師の母
出典
拾遺和歌集
前の歌
ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし 今は我が身の惜しけくもなし
次の歌
住吉の岸に向かへる淡路島 あはれと君を言はぬ日ぞなき