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五月来てながめまさればあやめ草
思ひ絶えにしねこそなかるれ

歌の意味
五月が来て、長雨が降りまさり、物思いにふけることも増すので、あやめ草の根が流れるように、思いを断ち切ったはずの私も、声をあげて泣かずにはいられない。
鑑賞
巻第二十 哀傷 1280

詞書「天暦の帝隠れたまひて、又の年の五月五日に、宮内卿兼通がもとに遣はしける」
 五月が来て長雨とともに物思いがまさり、思いを断ったはずなのに声をあげて泣かれると詠む歌である。詞書から、村上天皇が崩御した翌年の五月五日、端午の節句の日に、宮内卿藤原兼通のもとに送った歌とわかる。節句に用いるあやめ草を詠み込み、「長雨」と「眺め」、「根」と「音」、「流る」と「泣かる」を重ねて、帝を失った悲しみがなお尽きないことを伝えている。村上天皇は康保4年(967)に崩御した。
 作者の女蔵人兵庫は、宮中に仕えた女蔵人で、兵庫の名で呼ばれた女房である。伝は詳らかでない。

 初句「五月来て」は、五月が来て、の意で、詞書の五月五日をいう。
 二句「ながめまされば」は、「ながめ」が「長雨」と、物思いにふける「眺め」を掛ける掛詞である。長雨が降りまさるので、物思いがまさるので、の二つの意を重ねている。
 三句「あやめ草」は、端午の節句に軒に葺いたり薬玉にしたりする菖蒲をいい、四句の「ね」を導いている。次歌の第千二百八十一首の二句「あやめも知らぬ」と、あやめを詠む点で通い合っている。
 四句「思ひ絶えにし」は、思いを断ち切ってしまった、の意で、「にし」は完了と過去の助動詞である。
 結句「ねこそなかるれ」は、「ね」が菖蒲の「根」と泣く「音」を、「なかるれ」が根が「流るれ」と「泣かるれ」を掛ける掛詞である。係助詞「こそ」を受けて已然形で結ぶ係り結びである。

ながめ:「長雨」と、物思いにふける意の「眺め」を掛ける
ね:菖蒲の「根」と、泣く「音」を掛ける
なかる:根が「流る」意と、「泣かる」意を掛ける
あやめぐさ:菖蒲。端午の節句に用いる草
をんなくらうど:女蔵人。宮中に仕えた下級の女官
作者
女蔵人兵庫
出典
拾遺和歌集
前の歌
いにしへは散るをや人の惜しみけん 花こそ今は昔恋ふらし
次の歌
しのべとやあやめも知らぬ心にも 長からぬ世のうきに植ゑけん