古典和歌stream

しのべとやあやめも知らぬ心にも
長からぬ世のうきに植ゑけん

歌の意味
自分を偲べというのだろうか。物の道理もわからない幼い心で、長くはないこの世の、つらい泥の中に菖蒲を植えておいたのだろうか。
鑑賞
巻第二十 哀傷 1281

詞書「福足といひ侍りける子の、遣水に菖蒲を植ゑ置きて亡くなり侍りにける、後の年生ひ出でて侍りけるを見侍りて」
 自分を偲べというのか、物の道理もわからない幼い心で、長くもない世の泥に菖蒲を植えたのだろうかと詠む歌である。詞書から、福足という子が遣水に菖蒲を植えておいて亡くなり、翌年その菖蒲が生え出ているのを見て詠んだ歌とわかる。福足は作者の子で、幼くして亡くなった。菖蒲の「文目」に物の道理を、「泥」に「憂き」を重ね、わが子が残した菖蒲を見て、その短い命を嘆いている。
 作者の「粟田右大臣」は藤原道兼である。藤原兼家の子で、道長の兄にあたる。右大臣を経て関白となったが、就任後まもなく没した。粟田に山荘をもったことから粟田殿と呼ばれた。

 初句「しのべとや」は、偲べというのか、の意で、係助詞「や」は疑問を表し、結句の連体形「けん」で結ぶ係り結びである。
 二句「あやめも知らぬ」は、「あやめ」が「菖蒲」と、物の筋目の意の「文目」を掛ける掛詞である。物の道理もわからない、の意となる。前歌の第千二百八十首の三句「あやめ草」と、あやめを詠む点で通い合っている。
 三句「心にも」は、幼い心で、の意である。
 四句「長からぬ世の」は、長くはない世の、の意で、菖蒲の根が長いことの縁から「長からぬ」と言い、子の短い命をいう。
 結句「うきに植ゑけん」は、「うき」が菖蒲の生える「泥」と、「憂き」を掛ける掛詞である。「けん」は過去の原因を推量する助動詞である。

あやめ:「菖蒲」と、物の筋目、道理の意の「文目」を掛ける
うき:「泥(うき)」と、「憂き」を掛ける
やりみづ:遣水。庭に引き入れた水の流れ
おひいづ:生ひ出づ。生え出る
作者
藤原道兼
出典
拾遺和歌集
前の歌
五月来てながめまさればあやめ草 思ひ絶えにしねこそなかるれ
次の歌
ここにだにつれづれになく郭公 ましてこごひの森はいかにぞ