花のみな散りてののちぞ山里の
払はぬ庭は見るべかりける
- 歌の意味
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花がすっかり散ってしまった後にこそ、山里の掃き清めない庭は見るべきなのだった。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 101
詞書「山家落花といへる心をよみ侍りける」
「山家落花(山里の家の落花)」という題で詠んだ歌である。花がすっかり散ってしまった後にこそ、人が掃き清めることのない山里の庭を見るべきだったのだ、と詠む。訪れる人もなく手入れもされない山里の庭には、散った花びらがそのまま一面に敷き詰められている。花の盛りよりも、落花に埋もれた庭にこそ山里の趣があるという発見を詠んでいる。
作者の「前大納言俊実」は源俊実である。権大納言源隆俊の子で、大納言に至った。
初句「花のみな」は、花がすべて、の意である。
二句「散りてののちぞ」の「ぞ」は係助詞で、結句の「ける」と係り結びをなす。散った後にこそ、と強調する。次歌の第百二首「散りぬるのちは」も、花の散った後を詠む。
三句「山里の」は、四句の「庭」にかかり、人里離れた山里の家であることを示す。
四句「払はぬ庭は」の「払はぬ」は、掃き清めない、の意である。人が訪れず手入れもされないため、落花が一面に敷き詰められたままの庭をいう。
結句「見るべかりける」の「べかり」は当然、「ける」は気づきを表す「けり」の連体形で、「ぞ」の結びとなる。見るべきだったのだと今さらに気づく心を表す。
はらふ:掃き清める
- 作者
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源俊実
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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山風に散り積む花の流れずは いかで知らまし谷の下水
- 次の歌
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故郷は花こそいとどしのばるれ 散りぬるのちは訪ふ人もなし