幾返り今日に我が身のあひぬらん
惜しきは春の過ぐるのみかは
- 歌の意味
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いったい幾度、この身はこの三月尽の今日という日に巡り会ってきたのだろう。惜しいのは春が過ぎ去ることだけだろうか、いやそうではない。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 127
詞書は前の歌に続き「三月尽の心をよみ侍りける」
前歌と同じく「三月尽」を題として詠んだ歌である。この身は、春の終わる今日という日に、いったい幾度巡り会ってきたことだろう、惜しいのは春が過ぎてゆくことだけだろうか、いや自分の年月が過ぎてゆくことも惜しいのだ、と詠む。毎年繰り返される三月尽に、重ねてきた自らの年齢を思い、惜春の情に老いの嘆きを重ねている。
作者の「藤原定成」は伝が詳らかでない人物である。
初句「幾返り」は、幾度、何回、の意で、三句の「らん」と呼応する。
二句「今日に我が身の」の「今日」は、三月尽の今日をいう。
三句「あひぬらん」の「ぬ」は完了、「らん」は現在推量の助動詞で、巡り会ってきたのだろう、の意となる。ここで句切れとなる。
四句「惜しきは春の」は、惜しいのは春の、の意である。
結句「過ぐるのみかは」の「かは」は反語で、過ぎるだけだろうか、いやそうではない、の意となる。春とともに自らの年も過ぎてゆくことを含ませる。次歌の第百二十八首も同じく「のみかは」で結ぶ。本巻巻頭の第七十七首「花も日数も積もりぬる」と同じく、春とともに過ぎる時を詠む。
いくかへり:幾度、何回
- 作者
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藤原定成
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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入り日さす山の端さへぞ恨めしき 暮れずは春の帰らましやは
- 次の歌
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身の憂さも花見しほどは忘られき 春の別れを嘆くのみかは