入り日さす山の端さへぞ恨めしき
暮れずは春の帰らましやは
- 歌の意味
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夕日の差す山の端までもが恨めしい。日が暮れさえしなければ、春が帰ってしまうことなどあるだろうか、いやありはしないのに。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 126
詞書「三月尽の心をよみ侍りける」
「三月尽(三月の終わり)」という題で詠んだ歌である。夕日の差す山の端までもが恨めしい、この日が暮れさえしなければ、春が帰ってゆくこともないだろうに、と詠む。春が去るのは日が暮れるからだと考え、日を沈ませる山の端を恨むという、理屈を逆手にとった表現で、三月尽の日の暮れを惜しむ心を表している。
作者の「久我内のおほいまうちきみ」は源雅通である。権大納言源顕通の子で、右大臣源雅定の養子となり、内大臣に至った。久我に別邸があったことから久我内大臣と呼ばれ、源通親の父にあたる。
本歌から第百二十九首までの四首は、いずれも「三月尽」を題とする一連である。
初句「入り日さす」は、夕日の差す、の意で、春の最後の日の暮れを示す。
二句「山の端さへぞ」の「山の端」は山の稜線で、日が沈んでゆくところである。「さへ」は添加、「ぞ」は係助詞で、三句の「恨めしき」と係り結びをなす。
三句「恨めしき」は、恨めしいことだ、の意で、「ぞ」の結びとなる。ここで句切れとなる。
四句「暮れずは春の」の「ずは」は打消の仮定条件で、日が暮れなければ春が、の意となる。
結句「帰らましやは」の「まし」は反実仮想、「やは」は反語で、帰ってしまうだろうか、いや帰りはしない、の意である。本巻の第百二十一首「帰らまし」、第百二十二首「帰るなり」と同じく、春が「帰る」ことを詠む。
いりひ:夕日、沈んでゆく日
やまのは:山の稜線
- 作者
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源雅通
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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暮れてゆく春は残りもなきものを 惜しむ心の尽きせざるらん
- 次の歌
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幾返り今日に我が身のあひぬらん 惜しきは春の過ぐるのみかは