暮れてゆく春は残りもなきものを
惜しむ心の尽きせざるらん
- 歌の意味
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暮れてゆく春はもう残りもないというのに、どうして惜しむ心は尽きることがないのだろう。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 125
詞書「百首歌奉りける時、暮の春の心をよみ侍りける」
崇徳院に百首歌を奉った際に、「暮春」を題として詠んだ歌である。暮れてゆく春はもう残りもないというのに、それを惜しむ心のほうはどうして尽きることがないのだろうか、と詠む。尽きてゆく春と尽きない惜春の心とを対比させ、季節は終わっても終わらない愛惜の情を理知的に表している。
作者の「大納言隆季」は藤原隆季である。中納言藤原家成の子で、大納言に至った。四条家の祖とされ、崇徳院の久安百首の作者の一人である。
初句「暮れてゆく」は、終わろうとする、の意で、春の終わりを一日の暮れに重ねる。
二句「春は残りも」は、春はもう残りも、の意である。
三句「なきものを」の「ものを」は逆接の接続助詞で、ないというのに、の意となる。
四句「惜しむ心の」は、春を惜しむ心が、の意である。本巻の第百二十九首にも「惜しむ心の」があり、春を惜しむ心を詠む。
結句「尽きせざるらん」の「尽きせ」は尽きる意で、「らん」は原因を推量する現在推量の助動詞である。春は尽きるのに心は尽きないのはなぜか、と推し量る。
つきす:尽きる、終わる
- 作者
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藤原隆季
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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ながむれば思ひやるべき方ぞなき 春の限りの夕暮の空
- 次の歌
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入り日さす山の端さへぞ恨めしき 暮れずは春の帰らましやは