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ただならぬ花橘のにほひかな
よそふる袖は誰となけれど

歌の意味
なんとも尋常ではない花橘の香りであることよ。その香りになぞらえる袖の主は、誰というわけでもないのだけれど。
鑑賞
巻第三 夏歌 171

詞書「後朱雀院御時、長久二年五月一品内親王の歌合に、花橘をよめる」
 後朱雀天皇の時代、長久二年(1041)五月に一品内親王が催した歌合で、「花橘」を題として詠んだ歌である。花橘の香りはただごとではない、その香りを昔の人の袖の香になぞらえようにも、とくに思い出す誰というのでもないのに、心を揺さぶられる、と詠む。花橘の香りが昔の人を思い出させるという古歌の伝統を踏まえつつ、思い出す相手もいないのに心が騒ぐと詠み、香りそのものの力を強調している。ここから花橘の歌が続く。
 作者の「枇杷殿皇太后宮五節」は、三条天皇の中宮で枇杷殿皇太后宮と呼ばれた藤原妍子に仕えた女房である。詳しい伝は明らかでない。
 古今和歌集のよみ人しらずの歌「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」以来、花橘の香りは昔の人の袖の香を思い出させるものとして詠まれた。
 本歌から第百七十六首までの六首は、花橘を詠む一連である。

 初句「ただならぬ」は、普通ではない、ただごとではない、の意である。
 二句「花橘の」は、橘の花をいい、初夏に白い花を咲かせて香る。
 三句「にほひかな」の「にほひ」は香り、「かな」は詠嘆である。ここで句切れとなる。
 四句「よそふる袖は」の「よそふ」はなぞらえる意で、香りを昔の人の袖の香になぞらえることをいう。古今和歌集の「昔の人の袖の香ぞする」を踏まえる。
 結句「誰となけれど」は、誰というわけでもないけれど、の意である。思い出す特定の人もいないのに、香りに心が揺さぶられることを示す。次歌の第百七十二首も橘の香と袖とを詠む。

はなたちばな:橘の花で、初夏に白い花を咲かせて香る
よそふ:なぞらえる
にほひ:香り
作者
五節
出典
千載和歌集
前の歌
軒近く今日しも来鳴く時鳥 ねをやあやめにそへて葺くらん
次の歌
風に散る花橘に袖しめて 我が思ふ妹が手枕にせん