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憂きもののさすがに惜しき今年かな
遠ざかりなん君が別れに

歌の意味
つらいことばかりの年ではあったが、それでもやはり過ぎ去るのが惜しい今年であることだ。年が改まれば、亡き君との別れが遠ざかってしまうであろうと思うと。
鑑賞
巻第九 哀傷歌 562

詞書「同じ年の冬、御禊、大嘗会など過ぎて、十二月晦日に、大納言長家、二条院の一品内親王と申しける時、参りて侍りけるに、よみ侍りける」
 後一条院と中宮威子が亡くなったのと同じ年の冬、新帝の御禊や大嘗会なども過ぎて、十二月の晦日に、藤原長家が、のちの二条院で当時一品内親王と呼ばれていた章子内親王のもとに参上した折に詠んだ歌である。つらいことばかりの年だったが、それでもやはり惜しい今年だ、遠ざかってゆくであろう君との別れを思うと、と詠む。年が明ければ亡き院や中宮との別れがまた一年遠くなってしまうので、悲しい年でさえ過ぎ去るのが惜しいという、逆説的な心情を表している。
 作者の「前中宮宣旨」は中宮威子に仕え、宣旨と呼ばれた女房である。経歴の詳細は伝わらない。
 前歌の第五百六十一首と同じ年の出来事を詠み、次歌の第五百六十三首は本歌に答えた長家の返歌である。

 初句「憂きものの」の「の」は逆接の接続助詞「ものの」の一部で、つらいものではあるが、の意である。
 二句「さすがに惜しき」の「さすがに」は、そうはいってもやはり、の意である。
 三句「今年かな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、ここで句切れとなる。院と中宮が亡くなった今年をいう。
 四句「遠ざかりなん」の「な」は強意の助動詞「ぬ」の未然形、「ん」は推量の助動詞で、きっと遠ざかってしまうだろう、の意である。
 結句「君が別れに」の「君」は亡き院と中宮を指す。上の句に理由を後から添える倒置である。次歌の第五百六十三首は「別れにし今年も」と受けて返している。

ごけい:大嘗会に先立って天皇が川原で行う禊
だいじやうゑ:天皇の即位後に初めて行う新嘗祭
つごもり:月の末日
作者
前中宮宣旨
出典
千載和歌集
前の歌
悲しさに添へても物の悲しきは 別れのうちの別れなりけり
次の歌
悲しさはいとどぞまさる別れにし 今年も今日を限りと思へば