都へと思ふにつけて悲しきは
誰かは今は我を待つらん
- 歌の意味
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都へ帰ろうと思うにつけても悲しいのは、今となっては誰が私を待っているだろうか、誰も待っていない、ということだ。
- 鑑賞
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巻第九 哀傷歌 568
詞書「県に侍りけるほどに、京なる女身まかりぬると聞きて、急ぎ上り侍りける道にてよめる」
地方官として任国にいた時、都にいる妻が亡くなったと聞いて、急いで都へ上る途中で詠んだ歌である。都へと思うにつけても悲しいのは、今は誰が私を待っているだろうか、ということだ、と詠む。これまでは都へ帰ることが待つ人に会う喜びであったのに、今は帰っても迎えてくれる人がいないという、帰路の心の空しさを表している。
作者の「源実基朝臣」は平安時代中期の官人で、詞書から地方官を務めたことがうかがえるが、経歴の詳細は多く伝わらない。
本巻の第五百九十九首は、反対に地方で亡くなった父のもとへ急いで下る旅の歌で、「待つらむと思はば」と、待つ人のない旅を同じく詠んでいる。
初句「都へと」は、都へ帰ろうと、の意である。
二句「思ふにつけて」は、思うにつけても、の意である。
三句「悲しきは」は、悲しいのは、の意で、下の句でその内容を示す。
四句「誰かは今は」の「かは」は反語の係助詞で、結句の「らん」と連体形で結ぶ。
結句「我を待つらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、誰が私を待っているだろうか、誰も待っていない、の意である。本巻の第五百九十九首の初句「待つらむと」と対応する。
あがた:地方官の任国、地方
のぼる:地方から都へ行く
- 作者
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源実基
- 出典
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千載和歌集
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現とも思ひわかれで過ぐる間に 見し世の夢を何語りけん
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もろともに春の花をば見しものを 人に後るる秋ぞ悲しき