古典和歌stream

現とも思ひわかれで過ぐる間に
見し世の夢を何語りけん

歌の意味
現実なのかどうかも見分けがつかないまま日々を過ごしているうちに、院と過ごした昔の夢のような日々のことを、どうして語ってしまったのだろう。
鑑賞
巻第九 哀傷歌 567

詞書「御返事」
 前歌の赤染衛門の歌への上東門院の返歌である。現実とも見分けがつかないまま過ごしているうちに、かつての夢のような日々のことを、どうして語ってしまったのだろう、と詠む。一条院を失ってからの日々は夢とも現ともつかず、院と過ごした昔もまた夢のようであり、それを口にしたために赤染衛門をも泣かせてしまったことを、悔やむように詠んでいる。
 作者の「上東門院」は藤原彰子である。摂政藤原道長の娘で、一条天皇の中宮となり、後一条天皇、後朱雀天皇の母となった。紫式部、和泉式部、赤染衛門らが仕えた。
 本巻の第五百五十一首の花山院の歌も「現とも夢とも」と、現と夢の区別のつかなさを詠み、本歌と初句を同じくしている。

 初句「現とも」は、現実とも、の意である。本巻の第五百五十一首と同じ初句である。
 二句「思ひわかれで」の「わか」は区別する意の「わく」の未然形、「れ」は可能の助動詞「る」の未然形、「で」は打消しの接続助詞で、区別することもできずに、の意である。
 三句「過ぐる間に」は、日々を過ごしているうちに、の意である。
 四句「見し世の夢を」の「見し世」は、かつて過ごした世、すなわち一条院の在世の日々で、それを夢にたとえる。
 結句「何語りけん」の「何」は、どうして、の意、「けん」は過去の原因推量の助動詞で、どうして語ってしまったのだろう、の意である。

わく:区別する、見分ける
みしよ:かつて過ごした世、昔
作者
藤原彰子
出典
千載和歌集
前の歌
常よりもまた濡れ添ひし袂かな 昔をかけて落ちし涙に
次の歌
都へと思ふにつけて悲しきは 誰かは今は我を待つらん