胸に満つおもひをだにも晴るかさで
煙とならむことぞ悲しき
- 歌の意味
-
胸いっぱいに満ちた思いの火を、せめて晴らすことさえできずに、火葬の煙となってしまうことが悲しい。
- 鑑賞
-
巻第九 哀傷歌 575
詞書「贈皇太后苡子隠れ侍りにける後、硯の箱など取りしたため侍りけるに、物に書きつけて置かれて侍りける歌」
贈皇太后藤原苡子が亡くなったのち、硯の箱などを片付けていたところ、物に書きつけて置かれていた歌である。胸に満ちた思いの火をせめて晴らすこともできずに、煙となってしまうことが悲しい、と詠む。死を予感しながら、胸にたまった思いを晴らすこともなく火葬の煙となってゆく我が身を嘆いた、辞世ともいえる歌である。
作者の「贈皇太后苡子」は大納言藤原実季の娘である。堀河天皇の女御となり、鳥羽天皇を産んだが、康和五年(1103)、出産からまもなく没した。のちに鳥羽天皇の即位によって皇太后の位を追贈された。
本巻の第五百五十首、第六百首も、火葬の煙を詠んで死者をしのぶ歌である。
初句「胸に満つ」は、胸いっぱいに満ちている、の意である。
二句「おもひをだにも」の「おもひ」は、思いに火を掛ける掛詞で、四句の「煙」と縁語になる。「だに」は最小限を示す副助詞で、せめて思いだけでも、の意である。
三句「晴るかさで」の「晴るかす」は晴らす意、「で」は打消しの接続助詞で、晴らすこともできずに、の意である。
四句「煙とならむ」は、火葬の煙となる意で、「む」は推量の助動詞の連体形である。二句の「おもひ」の「火」の縁で「煙」という。
結句「ことぞ悲しき」の「ぞ」は強意の係助詞で、「悲しき」と連体形で結ぶ。
おもひ:思いと火を掛ける
はるかす:晴らす、晴れ晴れとさせる
すずりのはこ:硯や筆などを入れておく箱
とりしたたむ:取り片付ける、整理する
- 作者
-
藤原苡子
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
思ひやれむなしき床をうち払ひ 昔をしのぶ袖のしづくを
- 次の歌
-
もろともに有明の月を見しものを いかなる闇に君まどふらん