打ち鳴らす鐘の音にや長き夜も
明けぬなりとは思ひ知るらん
- 歌の意味
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今打ち鳴らす鐘の音によって、亡き人も、迷いの長い夜もすでに明けたようだと、悟り知るだろうか。
- 鑑賞
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巻第九 哀傷歌 577
詞書「人のわざしける導師にて諷誦文よみ侍りけるに、歌の侍りければよみ侍りける」
ある人が営んだ仏事に導師として招かれ、諷誦文を読み上げた折、施主から歌が寄せられていたので、それに応じて詠んだ歌である。打ち鳴らす鐘の音によって、長い夜も明けたようだと悟り知るだろうか、と詠む。法会の鐘の音を夜明けを告げる鐘になぞらえ、亡き人が迷いの長い闇から抜け出して悟りに至ることを願っている。
作者の「慶範法師」は平安時代後期の僧であるが、経歴の詳細は多く伝わらない。
本巻の第五百九十七首も「今日打ち鳴らす鐘の音に」と、法会の鐘の音を詠んでいる。
初句「打ち鳴らす」は、法会で鐘を打ち鳴らす、の意である。本巻の第五百九十七首の二句「今日打ち鳴らす」と同じ語である。
二句「鐘の音にや」の「や」は疑問の係助詞で、結句の「らん」と連体形で結ぶ。
三句「長き夜も」の「長き夜」は、迷いの世界を長い夜にたとえた無明長夜をいい、秋の夜長の意をも重ねる。
四句「明けぬなりとは」の「ぬ」は完了の助動詞、「なり」は音を聞いて推し量る推定の助動詞で、鐘の音を聞いて夜が明けたようだと知る、の意である。
結句「思ひ知るらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、亡き人も悟り知っているだろうか、の意である。
わざ:法事、仏事
だうし:法会で中心となって儀式を進める僧
ふじゆもん:法会で読み上げる、施主の願意を記した文
ながきよ:迷いの世界を長い夜にたとえた語で、無明長夜
- 作者
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慶範
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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もろともに有明の月を見しものを いかなる闇に君まどふらん
- 次の歌
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限りありて人はかたがた別るとも 涙をだにも止めてしがな