山の端にたなびく雲や行方なく
なりし煙の形見なるらん
- 歌の意味
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山の端にたなびいている雲は、行方も知れず消えていった火葬の煙の、形見なのだろうか。
- 鑑賞
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巻第九 哀傷歌 600
詞書「仁和寺法親王(道性)蓮花心院にて隠れ侍りにける後、月忌の日、かの墓所にまかりけるに、山に雲かかりて心細く侍りければよめる」
仁和寺の道性法親王が蓮花心院で亡くなったのち、毎月の命日にその墓所へ参った時、山に雲がかかって心細く思われたので詠んだ歌である。山の端にたなびく雲は、行方もなく消えてしまった煙の形見なのだろうか、と詠む。火葬の煙は空に消えて跡形もないが、山にかかる雲をその煙の名残と見て、亡き法親王をしのぶよすがとしている。
作者の「覚蓮法師(俗名隆行)」は平安時代末期の僧で、俗名を隆行といった。経歴の詳細は多く伝わらない。
本巻の第五百五十首は、亡き人の煙かと思われる雲さえもないと嘆き、本歌は山の端の雲を煙の形見と見る。同じ趣向を、雲の有無を反転させて詠んでいる。
初句「山の端に」の「山の端」は空と接する山の稜線である。本巻の第五百九十四首も「山の端の月」と結ぶ。
二句「たなびく雲や」の「や」は疑問の係助詞で、結句の「らん」と連体形で結ぶ。本巻の第五百五十首の「雲だにもなし」と、雲の有無が対照をなす。
三句「行方なく」は、行方もわからず、の意で、四句にかかる。
四句「なりし煙の」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、消えてしまった火葬の煙の、の意である。本巻の第五百七十五首も「煙とならむ」と火葬の煙を詠む。
結句「形見なるらん」の「らん」は現在推量の助動詞で、形見なのだろうか、の意である。
つきいみ:毎月の命日
むしよ:墓のある所、墓所
たなびく:雲などが横に長く引く
- 作者
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覚蓮
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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待つらむと思はばいかに急がまし 跡を見にだにまどふ心を
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年を経て昔をしのぶ心のみ うきにつけてもふかくさの里