世を厭ふはしと思ひし通ひ路に
あやなく人を恋ひわたるかな
- 歌の意味
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俗世を厭い離れるきっかけ、仏道への橋渡しと思って通っていた道で、わけもなく人を恋い続けることだ。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 672
詞書「横川の麓なる山寺に籠りゐ侍りける時、いとよろしき童の侍りければ、詠みて遣はしける」
比叡山横川の麓の山寺に籠っていた時、たいそう美しい童がいたので、詠んで贈った歌である。世を厭う手立てと思って通った道で、わけもなく人を恋い続けることだ、と詠む。俗世を離れて仏道に励むための山寺通いが、かえって恋の通い路となってしまった皮肉を、「はし」と「わたる」の縁で表している。
作者の「仁昭法師」は平安時代後期の僧である。経歴の詳細は多く伝わらない。
本巻の第六百七十六首の「通ひ初めぬる心」、第六百七十七首の「夢の通ひ路」と、「通ふ」をめぐる歌が続く。
初句「世を厭ふ」は、俗世をいやがって離れる、出家遁世する、の意である。
二句「はしと思ひし」の「はし」は、きっかけ、手立ての意の「端」と、通い路に架かる「橋」を掛ける。「し」は過去の助動詞「き」の連体形である。
三句「通ひ路に」は、山寺へ通う道で、の意である。第六百七十七首の結句「夢の通ひ路」と同じ語である。
四句「あやなく人を」の「あやなく」は、わけもなく、筋の通らないことに、の意である。
結句「恋ひわたるかな」の「わたる」は、ずっと…し続ける意で、二句の「橋」と縁語になる。「かな」は詠嘆の終助詞である。
はし:きっかけの意の端と、橋を掛ける
かよひぢ:通う道
こひわたる:恋い続ける
わらは:子ども。寺に仕える童
- 作者
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仁昭
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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我が恋は尾花吹き越す秋風の 音には立てじ身にはしむとも
- 次の歌
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たよりあらば海人の釣り舟言伝てむ 人をみるめに求めわびぬる