古典和歌stream

我が恋は尾花吹き越す秋風の
音には立てじ身にはしむとも

歌の意味
私の恋は、尾花の上を吹き越していく秋風のようなものだ。身にしみるほど切なくとも、音を立てて人に知られるようなことはすまい。
鑑賞
巻第十一 恋歌一 671

詞書「二条院御時、上の男ども百首歌奉りける時、詠める」
 二条天皇の御代に、殿上人たちが百首歌を奉った時に詠んだ歌である。私の恋は尾花を吹き越す秋風のようで、身にしみても音には立てまい、と詠む。尾花の穂をそよがせて吹く秋風に恋をたとえ、身にしみるほどつらくても、声に出して人に知られることはすまいと、忍ぶ恋の決意を詠んでいる。
 作者の「源通能朝臣」は平安時代後期の官人、歌人である。経歴の詳細は多く伝わらない。
 本巻の第六百五十二首の「音にのみやは」と、風の「音」に寄せて恋を詠む点で共通する。

 初句「我が恋は」は、私の恋は、の意で、以下で恋を秋風にたとえる。
 二句「尾花吹き越す」の「尾花」は薄の穂で、その上を吹き越していく、の意である。
 三句「秋風の」は、秋風のように、の意である。秋風は身にしみるものとして詠まれる。
 四句「音には立てじ」の「音に立つ」は声を立てて人に知られる意、「じ」は打消し意志の助動詞で、音には立てまい、の意である。ここで句切れとなり、結句と倒置の関係にある。第六百五十二首の四句「音にのみやは」と同じく風の音を詠む。
 結句「身にはしむとも」の「しむ」は身にしみる意、「とも」は逆接仮定で、たとえ身にしみても、の意である。秋風の縁で用いる。

をばな:薄の穂
ふきこす:吹いて越えていく
しむ:深く感じる、身にしみる
うへのをのこ:殿上人
作者
源通能
出典
千載和歌集
前の歌
涙川うき寝の鳥となりぬれど 人にはえこそみなれざりけれ
次の歌
世を厭ふはしと思ひし通ひ路に あやなく人を恋ひわたるかな