はかなしな心尽くしに年を経て
いつとも知らぬあふのまつ原
- 歌の意味
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むなしいことだ。心を尽くして年月を過ごしながら、いつ逢えるともわからないままに、逢の松原で待ち続けているとは。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 764
詞書「石清水歌合とて、人々詠み侍りける時、寄松恋といへる心を詠み侍りける」
石清水の歌合として人々が歌を詠んだ時、「寄松恋」、すなわち松に寄せる恋という題で詠んだ歌である。むなしいことだ、心を尽くして年を経て、いつとも知れずに逢の松原で待っている、と詠む。歌枕の「逢の松原」の名に「逢ふ」と「待つ」を響かせ、いつ逢えるともわからない恋人を長い年月待ち続けるはかなさを表している。
本文では作者名の箇所に「(ツネフ)」とのみ記されており、作者を確定することはできない。
本巻の第七百五首も「人に心を尽くすかな」と、心を尽くす恋のはかなさを詠む。
初句「はかなしな」の「な」は詠嘆の終助詞で、むなしいことだ、の意である。ここで句切れとなる。
二句「心尽くしに」は、あれこれと思い悩み、心をすり減らして、の意である。
三句「年を経て」は、年月を過ごして、の意である。
四句「いつとも知らぬ」は、いつ逢えるとも知れない、の意である。
結句「あふのまつ原」は歌枕の逢の松原で、「あふ」に逢う意を、「まつ」に待つ意を掛ける。体言止めで、恋人を待ち続ける心を地名に託して結ぶ。
あふのまつばら:歌枕の逢の松原。あふに逢ふを、まつに待つを掛ける
こころづくし:あれこれと思い悩み、心をすり減らすこと
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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妹があたり流るる川の瀬に寄らば 泡となりても消えんとぞ思ふ
- 次の歌
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思ひ寝の夢だに見えて明けぬれば 逢はでも鳥の音こそつらけれ