妹があたり流るる川の瀬に寄らば
泡となりても消えんとぞ思ふ
- 歌の意味
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恋しい人の住むあたりを流れる川の瀬に寄ることができるならば、たとえ水の泡となってでも、そこで消えてしまいたいと思う。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 763
詞書は前の歌に続き「題しらず」
恋しい人の家のあたりを流れる川の瀬に寄るならば、泡となってでも消えたいと思う、と詠む。恋人の近くに行けるのならば、はかない水の泡となって消えてもかまわないと、身を捨ててでも恋人のそばにありたいという、ひたむきな恋心を表している。
作者の「刑部卿範兼」は藤原範兼である。藤原能兼の子で、刑部卿を務めた。歌学者として知られ、「和歌童蒙抄」などの歌学書を著した。
前歌までの「渡り川」を受けて、本歌もまた川の「瀬」を詠む。第七百六十二首が冥途の川に逢う瀬はないと詠んだのに対し、本歌はこの世の恋人の家のあたりの川の瀬に寄りたいと詠み、あの世とこの世の川とが対照的に並んでいる。
初句「妹があたり」の「妹」は男性から恋人の女性を親しんでいう語で、恋人の住むあたり、の意である。六音の字余りとなる。
二句「流るる川の」は、流れている川の、の意である。
三句「瀬に寄らば」の「瀬」は川の浅瀬で、「ば」は未然形に付いて仮定を表し、瀬に寄るならば、の意である。第七百六十二首の「逢ふ瀬」の「瀬」と同じく、川の瀬を詠む。
四句「泡となりても」は、水の泡となってでも、の意で、はかなく消えるもののたとえである。
結句「消えんとぞ思ふ」の「ん」は意志の助動詞「む」、「ぞ」は強意の係助詞で、連体形「思ふ」と係り結びをなす。消えてしまいたいと思う、の意である。
いも:男性から恋人の女性を親しんでいう語
- 作者
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藤原範兼
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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恋ひ死なんことぞはかなき渡り川 逢ふ瀬ありとは聞かぬものゆゑ
- 次の歌
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はかなしな心尽くしに年を経て いつとも知らぬあふのまつ原