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世を厭ふ心は月をしたへばや
山の端にのみ思ひいるらん

歌の意味
世を厭う心は、月を慕っているからだろうか、月の沈んでいく山の端にばかり、深く思いを入れているのだろう。
鑑賞
巻第十六 雑歌上 1007

詞書「題しらず」
 世を厭う心は月を慕うからだろうか、山の端にばかり思いが入っていくのだろう、と詠む。月が山の端に入っていくように、世を厭う心も山へ入って隠れ住むことばかりを思うのは、月を慕っているからであろうかと、遁世を願う心を月の動きに重ねて詠んでいる。
 作者の「法印実修」は平安時代後期の僧で、法印の位にあった。伝記の詳細は明らかでない。
 本巻の第千十首の「月をしたひて山にこそ入れ」と、月を慕って山に入ることを詠む点で対応している。本歌が山に入りたいと思う心を詠むのに対し、第千十首は実際に山に入る身を詠んでいる。

 初句「世を厭ふ」は、俗世をいとわしく思う、の意で、遁世を願う心を表す。
 二句「心は月を」は、心は月を、の意である。
 三句「したへばや」の「したふ」は慕う意、「ばや」は「ば」に疑問の係助詞「や」の付いたもので、慕っているからだろうか、の意である。「や」は結句の「らん」で結ぶ。本巻の第千十首の四句「月をしたひて」と応じる。
 四句「山の端にのみ」は、月の沈む山の稜線にばかり、の意である。
 結句「思ひいるらん」の「いる」は、月が山に入る意と、深く思い込む意の「思ひ入る」を掛ける掛詞で、山に入ることを思う含みもある。「らん」は原因推量の助動詞で、思い入っているのだろう、の意である。

いとふ:嫌って避ける、いとわしく思う
したふ:慕う、後を追う
いる:月が山に入る意と、深く思い込む意を掛ける
作者
実修
出典
千載和歌集
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待つほどはいとど心ぞ慰まぬ 姨捨山の有明の月
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