さびしさも月見るほどは慰みぬ
入りなん後を訪ふ人もがな
- 歌の意味
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閑居のさびしさも、月を見ている間は慰められた。月が沈んでしまったあとに訪ねてくれる人がいてほしいものだ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1008
詞書「閑居月といへる心を詠める」
「閑居の月」という題で詠んだ歌である。さびしさも月を見ている間は慰められた、月が沈んだあとに訪ねてくる人がいてほしい、と詠む。人の訪れのない閑居で、月を友としてさびしさを紛らわしてきたが、月が沈んでしまえばまたさびしさが戻ってくるので、そのあとを埋めてくれる人の訪れを願っている。
作者の「藤原隆親」は平安時代後期の歌人で、伝記の詳細は明らかでない。
次歌の第千九首と結句「訪ふ人もがな」を共有する。本歌が月の沈んだあとに訪ねてくる人を願うのに対し、次歌は月を見ているかと訪ねてくる人を願い、月と人の訪れをめぐる願いが並んでいる。
初句「さびしさも」は、閑居のさびしさも、の意である。
二句「月見るほどは」は、月を見ている間は、の意である。
三句「慰みぬ」の「ぬ」は完了の助動詞で、慰められた、の意である。ここで句切れとなる。本巻の第千四首の「慰まず」、第千六首の「慰まぬ」とは反対に、月によって慰められると詠む。
四句「入りなん後を」の「な」は強意の助動詞「ぬ」の未然形、「ん」は推量の助動詞「む」の連体形で、月が沈んでしまうであろうあとを、の意である。
結句「訪ふ人もがな」の「もがな」は願望の終助詞で、訪ねてくれる人がいてほしい、の意である。次歌の第千九首の結句と同じ句である。
かんきよ:俗世を離れて静かに暮らすこと、またその住まい
とふ:訪れる、訪ねる
- 作者
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藤原隆親
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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世を厭ふ心は月をしたへばや 山の端にのみ思ひいるらん
- 次の歌
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霜冴ゆる庭の木の葉を踏み分けて 月は見るやと訪ふ人もがな