あしひきの山の端近く住むとても
待たでやは見る有明の月
- 歌の意味
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山の端の近くに住んでいるといっても、待たずに見られるだろうか、いや、やはり待たねばならないのだ、有明の月は。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1015
詞書「山家月を詠める」
「山家の月」という題で詠んだ歌である。山の端の近くに住んでいるといっても、待たずに見られるだろうか、有明の月は、と詠む。月の出る山の端のすぐそばに住んでいても、遅く出る有明の月はやはり待たなければ見られないと、山家に住む身ならではの実感を、軽い機知をこめて詠んでいる。
作者の「静蓮法師」は平安時代後期の僧で、伝記の詳細は明らかでない。
本巻の第九百八十八首と同じ「山家の月」の題で詠まれている。また本巻の第千首、第千六首と結句「有明の月」を共有し、特に第千六首とは、遅く出る有明の月を待つ心を詠む点で通っている。
初句「あしひきの」は「山」にかかる枕詞である。
二句「山の端近く」は、月の出る山の稜線の近くに、の意である。
三句「住むとても」は、住んでいるといっても、の意で、逆接の仮定を表す。
四句「待たでやは見る」の「で」は打消しの接続助詞、「やは」は反語の係助詞で、待たずに見られるだろうか、いや待たねばならない、の意である。本巻の第千六首の初句「待つほどは」と応じる。
結句「有明の月」は、夜更けに出て明け方まで残る月で、倒置の体言止めとなっている。本巻の第千首、第千六首の結句と同じ句である。
やまのは:山の稜線、空と接するあたり
ありあけのつき:夜が明けても空に残っている月
- 作者
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静蓮
- 出典
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千載和歌集
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真柴葺く宿の霰に夢覚めて 有明方の月を見るかな
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もろともに秋をや偲ぶ霜枯れの 荻の上葉を照らす月影