人の足をつむにて知りぬわが方へ
ふみおこせよと思ふなるべし
- 歌の意味
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人の足をつまむことになって分かった。わたしの方へ「ふみ」をよこせと、思っているのだろう。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1194
詞書「六波羅蜜寺の講の導師にて、高座に上るほどに、聴聞の女房の足をつみ侍りければ詠める」
六波羅蜜寺の講会で導師を務めた作者が、説法の高座に上ろうとしたところ、聴聞に来ていた女房の足をつまむことになったので詠んだ歌である。人の足をつまんで分かった、自分の方へふみをよこせと思っているのだろう、と詠む。女房の足が手に触れたのを、こちらへ足を「踏み」寄せた合図、すなわち恋の「文」をよこせという意思表示かと、僧の身でとぼけて取りなしたところに、誹諧の滑稽さがある。
作者の「良喜法師」は平安時代後期の僧で、伝記の詳細は明らかでない。
誹諧歌の一連の十五首目である。
初句「人の足を」は六音の字余りである。
二句「つむにて知りぬ」の「つむ」はつまむ、つねる、の意で、「にて」は原因を表し、…によって、の意である。「ぬ」は完了の助動詞で、ここで句切れとなる。
三句「わが方へ」は、わたしの方へ、の意である。
四句「ふみおこせよと」の「ふみ」は、足で踏む意の「踏み」と、手紙の「文」とを掛けている。「おこせよ」は、よこせ、の意の命令形である。次歌の第千百九十五首の四句「ふみ見るたびに」と「ふみ」を共有し、ともに踏むと文とを掛けて、僧と女性との間の文を詠んでいる。
結句「思ふなるべし」の「なる」は断定の助動詞「なり」の連体形、「べし」は推量の助動詞で、思っているのだろう、の意である。
つむ:つまむ、つねる
ふみ:足で踏む意の「踏み」と、手紙の「文」とを掛ける
おこす:こちらへよこす
かうざ:説法をする僧が上る高い座
だうし:法会で中心となって説法などを行う僧
- 作者
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良喜
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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逢ふことのなげきの積もる苦しさを 負へかし人のこりはつるまで
- 次の歌
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恐ろしや木曽の懸路の丸木橋 ふみ見るたびに落ちぬべきかな