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望月の雲隠れけんいにしへの
あはれを今日の空に知るかな

歌の意味
満月が雲に隠れたという遠い昔の悲しみを、今日の空に知ることだ。
鑑賞
巻第十九 釈教歌 1249

詞書「山階寺の涅槃会の暮れ方に、遮羅入滅の昔を思ひて詠み侍りける」
 山階寺、すなわち興福寺の涅槃会の夕暮れに、沙羅双樹の下で釈迦が入滅した昔を思って詠んだ歌である。詞書の「遮羅」は沙羅双樹を言う。望月が雲隠れしたという昔のあわれを、今日の空に知る、と詠む。釈迦は二月十五日の満月の日に入滅したとされ、その入滅を望月が雲に隠れることにたとえている。涅槃会の日の夕暮れの空を仰ぎ、遠い昔の入滅の悲しみを身に感じている。
 作者の「恵章法師」は平安時代後期の僧で、伝記の詳細は明らかでない。
 本巻の第千二百三十一首は仏を鷲の山の月にたとえ、入ったと見るのは迷いだと詠んだ。本歌は仏の入滅を望月の雲隠れにたとえて悲しみ、仏を月とする見立てを共有しながら、悟りの立場と追慕の心とで趣を異にしている。

 初句「望月の」の「望月」は満月で、二月十五日の満月の日に入滅した釈迦をたとえている。
 二句「雲隠れけん」の「雲隠る」は雲に隠れる意で、貴人の死を言う語でもある。「けん」は過去の伝聞を表す助動詞「けむ」の連体形で、隠れたという、の意である。
 三句「いにしへの」は、遠い昔の、の意で、釈迦入滅の時を言う。
 四句「あはれを今日の」の「あはれ」はしみじみとした悲しみで、「今日」は涅槃会の当日である。
 結句「空に知るかな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、詞書の「暮れ方」の空を仰いで昔の悲しみを知ることを言う。

くもがくる:雲に隠れる、また貴人が死ぬ
ねはんゑ:釈迦入滅の日とされる陰暦二月十五日に行う法会
やましなでら:興福寺の古称
しやら:沙羅双樹、釈迦が入滅した所に生えていた木
作者
恵章
出典
千載和歌集
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朝まだき御法の庭に降る雪は 空より花の散るかとぞ見る
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清く澄む心の底を鏡にて やがてぞ映る色も姿も