常ならぬためしは夜半の煙にて
消えぬ名残を見るぞうれしき
- 歌の意味
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この世の無常を示す例は、夜半の荼毘の煙となって消えたが、消えずに残る名残の舎利を拝見するのがうれしい。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1254
詞書「天王寺に参りて、遺身舎利を礼して詠み侍りける」
四天王寺に参詣して、仏の遺骨である舎利を礼拝して詠んだ歌である。無常のためしは夜半の煙であって、消えない名残を見るのはうれしい、と詠む。釈迦の入滅と夜半の荼毘の煙は世の無常を示したが、今も消えずに残る舎利を拝むことができるのはうれしいと、仏との結縁を喜んでいる。
作者の「天台座主明雲」は権大納言源顕通の子で、天台座主を務めた。後白河院の信任を受けたが、木曽義仲が法住寺殿を攻めた際に命を落とした。
本巻の第千二百九首も天王寺で舎利を拝んで詠んだ歌である。同歌が煙も澄んで去った仏の名残を見るのを悲しいとしたのに対し、本歌は消えない名残を見るのをうれしいとし、同じ舎利を前にして悲しみと喜びとで対をなしている。前歌の第千二百五十三首とは天王寺の歌として並んでいる。
初句「常ならぬ」は、無常の、の意である。
二句「ためしは夜半の」の「ためし」は例、先例で、「夜半」は夜更けの意で、釈迦が夜半に入滅したことを言う。
三句「煙にて」は、荼毘の煙であって、の意で、本巻の第千二百九首の二句「煙も澄みて」と照らし合う。
四句「消えぬ名残を」の「名残」は後に残るもので、舎利を言う。本巻の第千二百九首の四句「これや名残と」と同じ語である。
結句「見るぞうれしき」の「ぞ」は強意の係助詞で、形容詞の連体形「うれしき」で結ぶ。本巻の第千二百九首の結句「見るぞ悲しき」と同じ形で、悲しきに対してうれしきと詠んでいる。
ためし:例、先例
ゆいしんしやり:仏が遺した身の舎利、遺骨
らいす:礼拝する
- 作者
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明雲
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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世を救ふ跡は昔に変はらねど 始め立てけん時をしぞ思ふ
- 次の歌
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皆人を渡さむと思ふ心こそ 極楽へ行くしるべなりけれ