皆人を渡さむと思ふ心こそ
極楽へ行くしるべなりけれ
- 歌の意味
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すべての人を迷いの岸から悟りの岸へ渡そうと思う心こそ、極楽へ行く道しるべなのであった。
- 鑑賞
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巻第十九 釈教歌 1255
詞書「往生講の式書き侍りける時、教化の歌とて詠み侍りける」
往生講の次第を記した式を書いた折、教化の歌として詠んだ歌である。すべての人を渡そうと思う心こそ、極楽へ行く道しるべであった、と詠む。自分ひとりの往生を願うのではなく、あらゆる人を救おうとする心こそが自らを極楽へ導くのだと、大乗の慈悲の心を説いている。
作者の「律師永観」は平安時代後期の僧で、東大寺で学び、京都の禅林寺に住んで念仏を広めた。禅林寺は永観堂とも呼ばれ、『往生講式』などを著した。
本歌は本巻の巻末の一首である。巻頭の第千二百二首が憂き世をめぐり続ける身を嘆いたのに対し、本歌はすべての人を渡そうと思う心が極楽へのしるべになると説いて巻を閉じ、輪廻の嘆きに始まった巻が往生の道で結ばれている。また巻第十八の第千二百一首も、勤めれば極楽に至ると詠んでおり、二つの巻の巻末がともに極楽への道を示している。
初句「皆人を」は、すべての人を、の意である。
二句「渡さむと思ふ」は八音の字余りである。「渡す」は、衆生を迷いの岸から悟りの岸へ渡す意である。本巻の第千二百二十七首の三句「渡るとや」が、苦海をひとり渡ると見られる姿を詠んだのに対し、本歌はすべての人を渡そうとする心を詠む。
三句「心こそ」の「こそ」は強意の係助詞で、結句の已然形「けれ」で結ぶ。
四句「極楽へ行く」の「極楽」は阿弥陀仏の西方浄土で、巻第十八の第千二百一首の初句「極楽は」と同じ語である。
結句「しるべなりけれ」の「しるべ」は道案内、手引きの意で、「けれ」は詠嘆の助動詞「けり」の已然形として係り結びの結びとなる。
しるべ:道案内、手引き
わうじやうかう:極楽往生を願って営む講会
けうけ:人々を教え導くこと、また法会で唱える教化の歌
- 作者
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永観
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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常ならぬためしは夜半の煙にて 消えぬ名残を見るぞうれしき
- 次の歌
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三笠山さして来にけり石上 古き御幸の跡を尋ねて