月読の神し照らさばあだ雲の
かかる憂き世も晴れざらめやは
- 歌の意味
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月読の神が照らしてくださるならば、むなしい雲がかかっているこのようなつらい世も、晴れないことがあろうか、きっと晴れるだろう。
- 鑑賞
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巻第二十 神祇歌 1279
詞書「治承四年遷都の時、伊勢大神宮に帰り参りて、君の御祈り祈念し申し侍りける次でに、詠み侍りける」
治承四年(1180)の福原遷都の時、伊勢大神宮に帰参して、天皇の御ための祈りを申し上げたついでに詠んだ歌である。月読の神が照らすならば、あだ雲のかかるこの憂き世も晴れないことがあろうか、と詠む。遷都による世の混乱を空にかかる雲にたとえ、伊勢の月読の神の光によってそれが晴れることを願っている。本文では次歌の詞書の位置に「その後、世の中やうやう直り侍りにけりとなん」とあるが、これは本歌の左注と見られ、その後、世の中は次第に落ち着いたという。
作者の「大中臣為定」は伊勢神宮に奉仕した大中臣氏の神官である。伝記の詳細は明らかでない。
前歌の第千二百七十八首に続く伊勢の歌である。結句「晴れざらめやは」は、本巻の第千二百七十五首の結句「ささざらめやは」と同じ反語の形で、ともに神の光が及ぶことを確信している。
初句「月読の」は月の神である月読の神で、伊勢には月読宮がある。
二句「神し照らさば」の「し」は強意の副助詞で、「照らさば」は未然形に「ば」が付いた仮定条件である。
三句「あだ雲の」の「あだ雲」は、はかなく定めない雲で、世を乱す災いをたとえている。
四句「かかる憂き世も」の「かかる」は、雲が「懸かる」意と、このような、の意とを掛けている。
結句「晴れざらめやは」の「ざら」は打消、「め」は推量の助動詞「む」の已然形、「やは」は反語で、晴れないことがあろうか、きっと晴れる、の意である。本巻の第千二百七十五首の結句「ささざらめやは」と同じ形である。
かかる:雲が「懸かる」意と、このような、の意とを掛ける
つきよみ:月の神、伊勢には月読宮がある
あだぐも:はかなく定めない雲
せんと:都を移すこと、ここでは平清盛による福原遷都
きねん:神仏に祈ること
- 作者
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大中臣為定
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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深く入りて神路の奥を尋ぬれば 又上もなき峰の松風
- 次の歌
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石清水清き流れの絶えせねば 宿る月さへ隈なかりけり