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深く入りて神路の奥を尋ぬれば
又上もなき峰の松風

歌の意味
深く分け入って神路山の奥をたずねてゆくと、この上もない峰の松風が吹いていることだ。
鑑賞
巻第二十 神祇歌 1278

詞書「高野の山を住みうかれて後、伊勢国二見の浦の山寺に侍りけるに、大神宮の御山をば神路山と申す、大日如来御垂迹を思ひて詠み侍りける」
 高野山に住みかねて離れたのち、伊勢国二見浦の山寺にいた折、大神宮の御山を神路山と申すので、大日如来の垂迹を思って詠んだ歌である。伊勢の天照大神の本地は大日如来とされた。深く入って神路の奥をたずねると、またとない峰の松風が吹く、と詠む。神路山の奥深くに分け入る道に、神の本地をたずねる心を重ね、その果てに無上の仏である大日如来に出会う思いを、峰を吹く清らかな松風に託している。
 作者の「円位法師」は西行である。俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、出家して諸国を旅した。家集に『山家集』がある。
 ここから伊勢の神を詠む歌が続き、次歌の第千二百七十九首も伊勢大神宮で詠まれている。本巻の第千二百七十六首が日吉の本地の釈迦を思ったのに対し、本歌は伊勢の本地の大日如来を思っている。

 初句「深く入りて」は六音の字余りである。神路山の奥深くに分け入ることに、神の本地を深くたずねる心を重ねている。
 二句「神路の奥を」の「神路」は伊勢内宮の背後にある神路山で、神の通う道の意を響かせている。
 三句「尋ぬれば」は、たずねてゆくと、の意である。
 四句「又上もなき」は、これ以上のものはない、の意で、無上の仏である大日如来を思わせる。
 結句「峰の松風」は峰を吹き渡る松風で、体言止めとなっている。

かみぢやま:伊勢内宮の背後にある山
うかる:心が落ち着かず、住んでいた所を離れる
だいにちによらい:真言密教の本尊、伊勢の天照大神の本地とされた
作者
西行
出典
千載和歌集
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御幸する高嶺の方に雲晴れて 空にひよしのしるしをぞ見る
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月読の神し照らさばあだ雲の かかる憂き世も晴れざらめやは