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あるものと忘れつゝなほなき人を
いづらと問ふぞ悲しかりける

歌の意味
まだ生きているものと思い込み、亡くなったことを忘れては、やはりもういない子を「どこにいるの」と尋ねてしまうのが悲しいことだ。
鑑賞
 十二月二十七日、一行は大津から浦戸を目指して漕ぎ出した。こうした旅立ちのさなかにも、京で生まれた女の子がこの土佐で急に亡くなってしまったため、出立の準備の慌ただしさを見ても、何も言うことができない。京へ帰るというのに、その女の子がいないことばかりが悲しく恋しく思われ、周りの人々もこらえきれずにいた。
 「ある人」は作中で名が明かされていないが、日記の冒頭で国守の任期を終えて館を出た人物と同じく、前の土佐守である紀貫之を指すとされる。亡くなった女の子はその娘で、京で生まれ、父の赴任に伴って土佐に下っていた。
 この歌は、ある人が書いて差し出した「都へとおもふもものゝかなしきはかへらぬ人のあればなりけり」に続けて、また別の折に詠まれたものである。亡くなったことをふと忘れては、娘の姿を探してしまう悲しみが詠まれている。
 こうして歌を詠んでいるうちに、鹿児の崎という所で、守の兄弟やほかの人々が酒などを持って追いかけて来て、磯に下りて別れを惜しんだ。亡き娘への思いは、一月十一日の「世の中におもひやれども子を戀ふる思ひにまさる思ひなきかな」や、二月四日の「わすれ貝」をめぐる歌など、その後の旅でも繰り返し語られていく。

 初句「あるものと」は、生きている者として、の意で、亡くなった娘がまだそばにいるかのように思っていることを示す。第二句「忘れつゝなほ」の「つつ」は反復を表す接続助詞で、亡くなったことをたびたび忘れては、の意となり、「なほ」は、それでもやはり、と下へ続く。第三句「なき人を」は、亡くなった人、すなわち娘を指す。
 第四句「いづらと問ふぞ」の「いづら」は、どこにいるのか、と所在を尋ねる語で、「ぞ」は強意の係助詞である。結句「悲しかりける」は「ぞ」を受けた係り結びで、詠嘆の助動詞「けり」が連体形「ける」となっている。
 初句の「ある」と第三句の「なき」が対照され、生きていると思い込む一瞬と、死を思い知らされる一瞬との落差が描かれている。「都へとおもふもものゝかなしきはかへらぬ人のあればなりけり」が帰京という大きな出来事に寄せた悲しみであるのに対し、この歌は日々のふとした場面に表れる喪失感を詠んでいる。

いづら:どこ。どちら。所在を尋ねる語
問ふ(とふ):尋ねる
はらから:同じ母から生まれた兄弟姉妹
作者
紀貫之
出典
土佐日記
前の歌
都へとおもふもものゝかなしきは かへらぬ人のあればなりけり
次の歌
をしと思ふ人やとまるとあし鴨の うちむれてこそわれはきにけれ