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淺茅生の野邊にしあれば水もなき
池につみつるわかななりけり

歌の意味
ここは浅茅の生える野辺なので、水もない池で摘んだ若菜なのだった。
鑑賞
 年が明けても一行は大湊にとどまっていた。一月七日、京では白馬の節会が行われる日であるが、ここではただ波の白さが見えるばかりである。そうした中、「池」という名の所に住む人から、鯉はないものの鮒をはじめ川や海の魚などが長櫃に入れて次々と担ぎ届けられ、若菜も添えられていた。その若菜によって、今日が七日であることを知らされたのである。
 贈り主は、身分ある女性で、夫に伴って土佐に下り、「池」という地に住んでいた人である。またこの日には、弁当(わりご)を持たせて訪ねて来た人もいたが、日記ではその名を思い出せないと記されている。
 この歌は、若菜などの贈り物に添えられていたものである。「池」が地名であることを踏まえて詠まれている。
 日記の書き手はこの歌をたいそうおもしろいと評している。届いた長櫃の品は子どもにまで分け与えられ、皆満ち足りて、舟子たちは腹鼓を打つほどであった。

 初句「淺茅生の」は、浅茅の生えている、の意。第二句「野邊にしあれば」の「し」は強意の副助詞で、ここは野辺であるので、と理由を示す。第三句「水もなき」は、水のない、の意。
 第四句「池につみつる」の「池」は、地名の「池」と水をたたえる池とを掛けた掛詞で、水もない池で摘んだという意外さに興趣がある。「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形。結句「わかななりけり」は、若菜なのだった、と詠嘆をこめて結ぶ。
 池といえば水があるはずなのに、野辺であるため水もない池で若菜を摘んだ、と地名の「池」をおもしろく生かしている。七日の若菜を贈るという年中行事の心づかいと、軽妙な機知とがあいまった歌である。

浅茅生(あさぢふ):丈の低い茅が生えている所
長櫃(ながびつ):物を入れて二人で担ぐ長方形の箱
若菜(わかな):春の初めに摘む食用の草。一月七日に食べる習わしがあった
白馬の節会(あおうまのせちえ):一月七日に宮中で白馬を見て邪気を払う儀式
わりご:中に仕切りのある弁当箱。またその弁当
舟子(ふなこ):船頭の下で働く水夫
作者
紀貫之
出典
土佐日記
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