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ゆくさきにたつ白浪の聲よりも
おくれて泣かむわれやまさらむ

歌の意味
行く手に立つ白波の音よりも、あとに残されて泣く私の声のほうがまさるだろうか。
鑑賞
 年が明けても一行は大湊にとどまっていた。一月七日、京では白馬の節会が行われる日であるが、ここではただ波の白さが見えるばかりである。そうした中、「池」という名の所に住む人から、鯉はないものの鮒をはじめ川や海の魚などが長櫃に入れて次々と担ぎ届けられ、若菜も添えられていた。その若菜によって、今日が七日であることを知らされたのである。
 贈り主は、身分ある女性で、夫に伴って土佐に下り、「池」という地に住んでいた人である。またこの日には、弁当(わりご)を持たせて訪ねて来た人もいたが、日記ではその名を思い出せないと記されている。
 弁当を持って訪ねて来た人は、歌を詠もうという下心があってやって来たのであった。あれこれと話しながら、波が立つことを心配してみせて詠んだのがこの歌である。
 日記の書き手は、さぞ大声で泣くつもりなのだろうと皮肉り、持って来た物に比べて歌はどうであろうかと評している。人々は感心するそぶりは見せたが、誰ひとり返歌をせず、返歌をすべき人も交じっていたのに、食べ物ばかり食べているうちに夜が更けた。歌の主は「またまからず」と言って立ち去った。その後、ある人の子である童が、この歌に返歌をしようとひそかに言い出し、「ゆく人もとまるも袖のなみだ川みぎはのみこそぬれまさりけれ」と詠むことになる。

 初句「ゆくさきに」は、これから進んでいく先に、の意。第二句「たつ白浪の」は、立つ白波の、で、第三句「聲よりも」と続き、波の音よりも、と比べる。
 第四句「おくれて泣かむ」は、あとに残されて泣くであろう、の意で、「む」は推量の助動詞である。結句「われやまさらむ」の「や」は疑問の係助詞、「む」は推量の助動詞で、私の泣く声のほうがまさるだろうか、と結ぶ。
 旅立つ人の行く手に立つ波の音と、見送る自分の泣き声とを比べ、別れの悲しみの大きさを誇張して表している。ただし日記の地の文は、この大げさな表現をからかうように、さぞ大声なのだろうと記し、歌の出来を冷ややかに見ている。

わりご:中に仕切りのある弁当箱。またその弁当
作者
紀貫之
出典
土佐日記
前の歌
淺茅生の野邊にしあれば水もなき 池につみつるわかななりけり
次の歌
ゆく人もとまるも袖のなみだ川 みぎはのみこそぬれまさりけれ