おもひやる心は海を渡れども
ふみしなければ知らずやあるらむ
- 歌の意味
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思いやる心は海を渡っていくけれども、手紙もなく、踏み渡ることもできないので、あの人たちは私の思いを知らないでいるのだろうか。
- 鑑賞
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一月九日の早朝、一行は大湊から那波の泊を目指して漕ぎ出した。国境の内まではと見送りに来る人は多かったが、なかでも藤原のときざね、橘の季衡、長谷部の行政らは、一行が館を出た日からあちこちへ追って来ていた。日記の書き手は、この人々こそ志ある人であり、その深い志はこの海にも劣らないであろうと記す。船が漕ぎ離れていくにつれて、岸に残る人々も遠くなり、船の人も見えなくなった。
藤原のときざね、橘の季衡、長谷部の行政は、いずれも土佐で前の守と親しく交わっていた人々である。ときざねは十二月二十二日にも、船旅であるにもかかわらず馬のはなむけをしている。
岸の人々にも言いたいことがあるだろうし、船の人々にも思うことはあるが、もはや伝えるすべがない。そうした中で、独り言のように詠んで終わったのがこの歌である。
この歌は誰かに贈られたものではなく、独り言のまま終わった。この後、船は宇多の松原を過ぎていき、その景色を前にして船人が「見渡せば松のうれごとにすむ鶴は千代のどちとぞ思ふべらなる」と詠む。
初句「おもひやる」は、遠くにいる人を思いやる、の意。第二句「心は海を」、第三句「渡れども」と続き、思いやる心は海を渡って相手のもとへ届くけれども、という。「ども」は逆接の接続助詞である。
第四句「ふみしなければ」の「ふみ」は、手紙の「文」と、足で「踏み」とを掛けた掛詞で、手紙もなく、また海を踏み渡ることもできないので、という意を重ねている。「し」は強意の副助詞。結句「知らずやあるらむ」の「や」は疑問の係助詞、「らむ」は現在推量の助動詞で、私の思いを相手は知らないでいるのだろうか、と結ぶ。
見送ってくれた人々への感謝と名残惜しさを、海を渡っていく心と、言葉を届けるすべのなさとの対比で表している。
泊(とまり):船が停泊する所。港
馬のはなむけ(うまのはなむけ):旅立つ人を送る宴や贈り物
- 作者
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紀貫之
- 出典
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土佐日記
- 前の歌
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てる月のながるゝ見ればあまの川 いづるみなとは海にざりける
- 次の歌
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見渡せば松のうれごとにすむ鶴は 千代のどちとぞ思ふべらなる