見渡せば松のうれごとにすむ鶴は
千代のどちとぞ思ふべらなる
- 歌の意味
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見渡すと、松の梢ごとに住む鶴は、松を千年をともにする仲間と思っているようだ。
- 鑑賞
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一月九日の早朝、一行は大湊から那波の泊を目指して漕ぎ出した。国境の内まではと見送りに来る人は多かったが、なかでも藤原のときざね、橘の季衡、長谷部の行政らは、一行が館を出た日からあちこちへ追って来ていた。日記の書き手は、この人々こそ志ある人であり、その深い志はこの海にも劣らないであろうと記す。船が漕ぎ離れていくにつれて、岸に残る人々も遠くなり、船の人も見えなくなった。
藤原のときざね、橘の季衡、長谷部の行政は、いずれも土佐で前の守と親しく交わっていた人々である。ときざねは十二月二十二日にも、船旅であるにもかかわらず馬のはなむけをしている。
船は宇多の松原を通り過ぎていく。その松は数えきれないほど多く、幾千年を経たかもわからない。根もとごとに波が打ち寄せ、枝ごとに鶴が飛び交っている。その景色のおもしろさに、見ているだけではいられなくなった船人が詠んだのがこの歌である。
日記の書き手は、この歌は実際の景色を見ることには及ばない、と評している。この後、一行は日が暮れて夜更けまで漕ぎ進み、方角もわからぬまま楫取に任せて進んだ。女たちは船底で泣き、舟子や楫取は船歌を歌って平然としていた。
初句「見渡せば」は、見渡すと、の意で、宇多の松原の広がりを示す。第二句「松のうれごとに」の「うれ」は木の枝先、梢のこと。第三句「すむ鶴は」は、そこに住む鶴は、の意。
第四句「千代のどちとぞ」の「どち」は仲間、友の意で、千年の時をともにする仲間であると、という。「ぞ」は強意の係助詞。結句「思ふべらなる」の「べらなり」は推量を表す助動詞で、平安時代前期に好んで用いられた。「ぞ」を受けて連体形「べらなる」で結ぶ係り結びとなっている。
松も鶴も長寿を象徴するめでたい景物であり、その二つを千年をともにする仲間として結びつけている。眼前の景色をそのまま祝いの歌に仕立てたものであるが、地の文は、景色の見事さに歌が及ばないと率直に評している。
うれ:木の枝先。梢
どち:仲間。友
楫取(かぢとり):船頭
舟子(ふなこ):船頭の下で働く水夫
- 作者
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紀貫之
- 出典
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土佐日記
- 前の歌
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おもひやる心は海を渡れども ふみしなければ知らずやあるらむ
- 次の歌
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まことにて名に聞く所はねならば 飛ぶがごとくにみやこへもがな