かげ見れば浪の底なるひさかたの
空こぎわたるわれぞさびしき
- 歌の意味
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水に映る影を見ると、波の底にある空を漕ぎ渡っていく私は、なんとも寂しいことだ。
- 鑑賞
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一月十七日、空を覆っていた雲がなくなり、明け方の月がたいそう美しかったので、一行は船を出して漕ぎ進んだ。その間、月の映る海の底と空とが同じように見えた。日記の書き手は、昔の人が漢詩で「棹は穿つ波の上の月を、船は襲ふ海のうちの空を」と言ったのももっともだと思う。
この場面で歌を詠む「ある人」は名が記されていない。月の中には桂の木が生えているという中国の言い伝えがあり、この日の歌はそれを踏まえている。
ある人の「みなそこの月のうへより漕ぐふねの棹にさはるは桂なるらし」を聞いて、別の人が続けて詠んだのがこの歌である。
この歌を詠んでいるうちに、夜がしだいに明けてきた。すると楫取たちが、黒い雲が急に出てきた、風も吹くだろう、船を引き返そうと言って戻り、やがて雨も降り出した。日記の書き手は、たいそうつらいことだと記している。翌十八日も海が荒れ、一行は同じ所にとどまった。
初句「かげ見れば」は、海に映った月の光や空の姿を見ると、の意。第二句「浪の底なる」は、波の底にある、で、第三句「ひさかたの」は「空」にかかる枕詞である。
第四句「空こぎわたる」は、波の底に映る空を漕ぎ渡っていく、の意。結句「われぞさびしき」の「ぞ」は強意の係助詞で、形容詞「さびし」の連体形「さびしき」で結ぶ係り結びとなっている。
前の歌が棹に触れるものを月の桂だと機知的に詠んだのに対し、この歌は同じ海に映る空の景色を受けて、果てしない空を漕ぎ渡るような自分の心細さへと思いを向けている。同じ情景から、軽妙な見立てと旅の寂しさという、異なる趣の歌が並べられている。
かげ:光。また水に映った姿
- 作者
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紀貫之
- 出典
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土佐日記
- 前の歌
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みなそこの月のうへより漕ぐふねの 棹にさはるは桂なるらし
- 次の歌
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いそぶりの寄する磯には年月を いつとも分かぬ雪のみぞふる