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けふなれど若菜もつまず春日野の
わがこぎわたる浦になければ

歌の意味
今日は子の日だけれど若菜も摘まない。若菜摘みの名所の春日野が、私の漕ぎ渡るこの浦にはないので。
鑑賞
 一月二十九日、船を出して進んだ。うららかに日が照る中を漕いでいく。爪がたいそう長くなっているのを見て日を数えると、この日は子の日であったので、爪は切らなかった。正月なので、京で行われる子の日の遊びを話題にして、「小松があればなあ」と言うが、海の上なのでそれもかなわない。
 子の日の遊びは、正月最初の子の日に野に出て小松を引き抜き、若菜を摘んで長寿を祈る行事である。この日に歌を詠むのは「ある女」「ある人」、そしてかつて「土佐」という所に住んでいた女である。
 ある女の「おぼつかなけふは子の日かあまならば海松をだに引かましものを」に続けて、ある人が詠んだのがこの歌である。
 こうして歌を詠みながら漕いで行き、趣のある所に船を寄せて「ここはどこか」と尋ねると、「土佐の泊」と答えた。そこで、かつて土佐という所に住んでいた女が「年ごろをすみし所の名にしおへばきよる浪をもあはれとぞ見る」と詠む。

 初句「けふなれど」は、今日は子の日であるけれども、の意。第二句「若菜もつまず」は、若菜も摘まない、で、「ず」は打消の助動詞である。第三句「春日野の」の春日野は、奈良の若菜摘みの名所として知られる野である。
 第四句「わがこぎわたる」は、私が漕いで渡っていく、で、結句「浦になければ」は、この浦にはないので、と結ぶ。上の句で述べたことの理由を、倒置によって下の句で示す形になっている。
 若菜摘みの名所である春日野が、自分の漕ぎ渡る海辺にはないので、子の日なのに若菜も摘めない、と嘆いている。前の歌が小松引きを海松に置きかえたのに対し、この歌は若菜摘みの行事を取り上げ、海の上で正月の行事ができない寂しさを詠んでいる。

若菜(わかな):春の初めに摘む食用の草
浦(うら):海や湖の湾曲して入り込んだ所。海辺
作者
紀貫之
出典
土佐日記
前の歌
おぼつかなけふは子の日かあまならば 海松をだに引かましものを
次の歌
年ごろをすみし所の名にしおへば きよる浪をもあはれとぞ見る