手をひでゝ寒さも知らぬ泉にぞ
汲むとはなしに日ごろ經にける
- 歌の意味
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手を浸して冷たさを知ることもない和泉の泉で、水を汲むわけでもないのに、何日も過ごしてしまったことだ。
- 鑑賞
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二月四日、楫取は今日は風と雲の様子がひどく悪いと言って、船を出さなかった。ところが一日中、波も風も立たなかった。日記の書き手は、この楫取は天気も読めない愚か者だと記している。この泊の浜には、さまざまな美しい貝や石などがたくさんあった。そのため、船の人々は亡き人ばかりを恋しく思っていた。
亡き人とは、土佐で亡くなった前の守の娘である。「わすれ貝」は、拾うと恋しさを忘れさせるといわれた貝のことである。
なお同じ所で日を過ごすことを嘆いて、ある女が詠んだのがこの歌である。
この歌に対する反応は記されていない。翌五日、一行はようやく和泉の灘から小津の泊を目指して出発した。
初句「手をひでゝ」の「ひづ」は水に浸す意で、手を水に浸して、という。第二句「寒さも知らぬ」は、その冷たさを知ることもない、の意で、実際には手を浸すこともないことをいう。第三句「泉にぞ」の「泉」は、湧き水の泉と、地名の和泉とを掛けた掛詞である。「ぞ」は強意の係助詞。
第四句「汲むとはなしに」は、水を汲むというわけでもなく、の意。結句「日ごろ經にける」は、何日も過ごしてしまったことだ、と「ぞ」を受けて連体形「ける」で結ぶ係り結びとなっている。
泉に手を浸せば冷たさを知るはずなのに、水を汲むわけでもなく、ただ和泉の国で日を重ねている、と足止めのもどかしさを詠んでいる。「泉」と「汲む」の縁語的な結びつきを用いた、機知のある歌である。
ひづ:水に浸す。濡れる
- 作者
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紀貫之
- 出典
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土佐日記
- 前の歌
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わすれ貝ひろひしもせじ白玉を 戀ふるをだにもかたみと思はむ
- 次の歌
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ゆけどなほ行きやられぬはいもがうむ をつの浦なるきしの松原