いのりくる風間と思ふをあやなくに
鷗さへだになみと見ゆらむ
- 歌の意味
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祈り続けてきたかいあって風がやんだと思うのに、わけもなく、鷗までもが波のように見えるのはどうしてだろう。
- 鑑賞
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二月五日、一行はやっとのことで和泉の灘から小津の泊を目指して出発した。松原が見渡すかぎり遥かに続いていた。人々は皆苦しかったので歌を詠んだ。やがて船君が、天気のよいうちに早く漕げと催促すると、楫取は舟子たちに「御船から仰せがあった。朝の北風が出てこないうちに綱手を早く引け」と言った。その言葉が偶然にも三十一文字になっていて、歌のようであった。この日は波が立たないようにと人々が一日中祈ったかいがあって、風も波も立たなかった。
この日には、亡き子の母も歌を詠んでいる。日記では「むかしつ人の母」と記され、土佐で亡くなった娘の母のことである。住吉は現在の大阪市住吉区のあたりで、住吉の明神は航海の神として信仰されていた。
人々の祈りのかいあって風も波も立たない中、鷗が群れて遊んでいる所があった。都が近づく喜びのあまりに、ある童が詠んだのがこの歌である。
こうして進む間に、石津という所の松原が趣深く、浜辺が遠くまで続いていた。さらに住吉のあたりを漕いでいき、ある人が「今見てぞ身をば知りぬる住のえの松よりさきにわれは經にけり」と詠んだ。
初句「いのりくる」は、祈り続けてきた、の意。第二句「風間と思ふを」の「風間」は風がやんでいる間のことで、祈り続けたかいがあって風がやんだと思うのに、という。「を」は逆接の接続助詞である。
第三句「あやなくに」は、わけもなく、筋の通らないことに、の意。第四句「鷗さへだに」は、鷗までもが、結句「なみと見ゆらむ」は、波のように見えるのだろう、と結ぶ。「らむ」は原因を推量する助動詞である。
白い鷗が群れる様子を白波に見立て、せっかく風がやんだのに、鷗まで波に見えてしまう、と波を恐れる船旅の心理をおもしろく表している。
風間(かざま):風がやんでいる間
童(わらは):子ども。元服前の少年少女
- 作者
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紀貫之
- 出典
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土佐日記
- 前の歌
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ゆけどなほ行きやられぬはいもがうむ をつの浦なるきしの松原
- 次の歌
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今見てぞ身をば知りぬる住のえの 松よりさきにわれは經にけり