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なかりしもありつゝ歸る人の子を
ありしもなくてくるが悲しさ

歌の意味
下る時にはいなかった子を連れて帰る人もいるのに、連れて行った子を亡くして帰って来ることの悲しさよ。
鑑賞
 二月九日、もどかしさに夜が明けないうちから船を引いてのぼったが、川の水が少ないので、いざるように少しずつしか進めなかった。和田の泊の分かれ目という所では、米や魚などを求められて与えた。こうして船を引いてのぼりながら、渚の院という所を見て行った。昔を思いやって見ると趣のある所で、後ろの岡には松の木々があり、中庭には梅の花が咲いていた。
 渚の院は、惟喬親王の別荘があった所で、現在の大阪府枚方市にあたる。惟喬親王は文徳天皇の第一皇子で、在原業平らと交流があった。在原業平は平安時代前期の歌人で、六歌仙の一人である。
 京から土佐へ下った時、一行の人々には子どもがいなかったが、任国で子を産んだ者たちがいて、皆、船の泊まる所で子を抱いて乗り降りしていた。これを見て、亡き子の母が悲しみに堪えきれずに詠んだのがこの歌である。
 母は歌を詠んで泣いた。日記の書き手は、父もこれを聞いてどう思っただろうか、と記す。そして、こうした歌は好んで詠むのではなく、唐でも日本でも思いに堪えられない時にするものなのだろう、と述べている。その夜は宇土野という所に泊まった。

 初句「なかりしも」は、いなかった者も、の意で、京から下る時にはいなかった子をいう。第二句「ありつゝ歸る」は、今はいて連れて帰る、で、第三句「人の子を」と続き、ほかの人の子を、の意となる。
 第四句「ありしもなくて」は、いた子もいなくなって、の意で、京から連れて下った自分の娘を指す。結句「くるが悲しさ」は、帰って来ることの悲しさよ、と体言止めで結んでいる。
 「なかりし」と「ありし」、「あり」と「なく」を対比させ、下る時にはいなかった子を連れて帰る他人と、連れて行った子を失って帰る自分との違いを鮮明に描いている。一月十一日の「世の中におもひやれども子を戀ふる思ひにまさる思ひなきかな」と同じく、子を失った親の嘆きをまっすぐに表した歌である。

任国(にんごく):国司として赴任した国
作者
紀貫之
出典
土佐日記
前の歌
君戀ひて世をふる宿のうめの花 むかしの香にぞなほにほひける
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さざれ浪よするあやをば靑柳の かげのいとして織るかとぞ見る