よの常の事ともさらにおもほえす
初て物をおもふみなれは
- 歌の意味
-
世間によくあることなどとは、まったく思われない。私は初めて恋の物思いをする身なのだから。
- 鑑賞
-
和泉式部から「慰むときけは語らまほしけれと」という返事を受けた帥の宮は、思いがけず忍んで出かけようと思い立ち、昼からその心づもりをした。日ごろ文を取り次いでいた右近の尉という者を呼び、「出かけよう」と告げると、右近の尉は察して供をした。粗末な車で訪れ、取り次ぎを入れると、和泉式部はたいそう具合が悪く思ったが、留守だと言うわけにもいかず、昼に返事をした手前、そのまま帰すのも情けないと考え、話だけでもと西の妻戸に円座を差し出して迎え入れた。帥の宮は世の評判どおり、並々ならず優美であった。話をするうちに月が出て、たいそう明るくなった。帥の宮が「古風で引きこもりがちな身なので、このような端近な所には座り慣れず、決まりが悪い。あなたのいる所に座らせてほしい。今まで会ってきた人のようなことはしない」と言うと、和泉式部は「おかしなことを。今夜だけお話をと思っておりますのに。今までなどとは」と、たわいない言葉を返した。そうするうちに夜もしだいに更けていった。
女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王である。右近の尉は、帥の宮の文の取り次ぎや外出の供をつとめた側近の従者で、右近衛府の三等官を指す呼称である。
簾越しの語らいののち、帥の宮はそっと内へすべり入り、二人は契りを交わした。夜が明けて帰った帥の宮から、後朝の文として「戀といへはよの常のとや思ふ覽今朝の心はたくひたになし」が届き、和泉式部はこの歌を返した。
返事をしたあとも、和泉式部は、我ながら不思議な身の上だ、これはどうしたことかと思い、亡き宮があれほど言い残していたのにと、悲しく思い乱れた。そこへいつもの童がやって来たので、帥の宮からの文があるかと期待したが、文はなく、それをつらく思うのも好色めいたことだと自らを省みる。
初句から第三句の「よの常の事ともさらにおもほえす」は、世間並みのこととはまったく思われない、という意味で、帥の宮の歌の「よの常の」をそのまま受けている。「さらに〜ず」は全面的な否定を表し、「おもほえず」は思われない、の意である。
下の句の「初て物をおもふみなれは」は、初めて物思いをする身なので、という意味で、「物を思ふ」は恋の物思いをすること、「なれば」は理由を表す。恋の経験豊かな女として知られた和泉式部が「初めて」と言い切ることで、帥の宮の「たくひたになし」に劣らぬ思いの深さを示し、相手の言葉を受けて同じ高さで応じた返歌である。
思ほゆ(おもおゆ):自然に思われる
物思ふ(ものおもう):恋や悩みのために思いわずらう
- 作者
-
和泉式部
- 出典
-
和泉式部日記
- 前の歌
-
戀といへはよの常のとや思ふ覽 今朝の心はたくひたになし
- 次の歌
-
またましもかはかり社︀は有まし[か] 思もかけぬけふの夕暮